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夕暮れになって、ひときわ寒い風が部屋に入り込んでくるようになった。
火鉢を用意しますと韓福《かんぷく》が言ってきたのと同時に、趙雲が外から戻って来た。
険しい表情をして、うつむき加減である。
そこからして、何も言われなくても、答えはわかった。
やはり、鍛冶屋という鍛冶屋から、三万本の矢の鏃《やじり》を作ることは不可能だと断られたのだろう。
趙雲は、孔明を見るなり、庭にぺたりと座ると、土下座でもしかねない調子で、
「すまぬ、だめであった」
と、言った。
その声が、いつもの張りのある声ではなく、かすれている。
「子龍、もしかして、鍛冶屋とやり合ったのか」
孔明の指摘に、趙雲は気まずそうにして、うなずいた。
「あいつら、三万本の矢の分の鏃なんぞ、十日で用意できるものではないし、だいたい金はあるのかと言ってきてな。
あとで払うと説明しても耳を貸さぬ。
そのうえ、だんだんこちらの足元を見て、十日で出来もせぬのに法外な料金を払えと言ってきたから、こちらもつい熱くなって」
「まさか」
「いや、手は出しておらん。怒鳴り合いになっただけだ」
「そうか……主騎があなたでよかったな。これが益徳(張飛)どのだったら、陸口《りくこう》じゅうの鍛冶屋は殺されてる」
孔明は冗談を言ってみたが、趙雲は上の空で、そうかもな、とつぶやくだけだった。
かなり落ち込んでいるらしい。
「あなたが責任を感じることはない。周都督と約束をしてしまったのは、わたしのほうなのだ」
「しかし、あの場で周都督の部下に言いくるめられて、程都督のところへ行っていなければ、また展開はちがっていたかもしれぬ」
「いいや、あなたがついてくれていても、あの物々しい状況では、何も変わらなかっただろうよ。
もしあそこで、十日では無理だと断っていたなら、われらは捕えられていたかもしれぬ」
「何の罪も犯していないのにか」
「われらが荊州人士と手紙のやり取りをしていることを、都督は気づいたのかもしれないな。
いや、気づいていなかったとしても、都督にとって、われらがこの世に存在すること自体が、もう罪なのかもしれない。
都督も、孫家の天下統一のため、どうしても荊州が欲しいのだろう」
「孫家に、天下を取る大義名分はないぞ」
「なくてもさ。曹操のように、帝を傀儡にして天下に号令をかけるという手もあるわけだし。
あるいは、ほかになにか妙案でもあるのだろう。
さあ、そんな地べたに座り込んでいないで、早く部屋に入るといい。風も冷たくなってきたよ」
孔明が誘うと、趙雲は、まだ申し訳なさそうにしていたが、立ち上がった。
つづく
夕暮れになって、ひときわ寒い風が部屋に入り込んでくるようになった。
火鉢を用意しますと韓福《かんぷく》が言ってきたのと同時に、趙雲が外から戻って来た。
険しい表情をして、うつむき加減である。
そこからして、何も言われなくても、答えはわかった。
やはり、鍛冶屋という鍛冶屋から、三万本の矢の鏃《やじり》を作ることは不可能だと断られたのだろう。
趙雲は、孔明を見るなり、庭にぺたりと座ると、土下座でもしかねない調子で、
「すまぬ、だめであった」
と、言った。
その声が、いつもの張りのある声ではなく、かすれている。
「子龍、もしかして、鍛冶屋とやり合ったのか」
孔明の指摘に、趙雲は気まずそうにして、うなずいた。
「あいつら、三万本の矢の分の鏃なんぞ、十日で用意できるものではないし、だいたい金はあるのかと言ってきてな。
あとで払うと説明しても耳を貸さぬ。
そのうえ、だんだんこちらの足元を見て、十日で出来もせぬのに法外な料金を払えと言ってきたから、こちらもつい熱くなって」
「まさか」
「いや、手は出しておらん。怒鳴り合いになっただけだ」
「そうか……主騎があなたでよかったな。これが益徳(張飛)どのだったら、陸口《りくこう》じゅうの鍛冶屋は殺されてる」
孔明は冗談を言ってみたが、趙雲は上の空で、そうかもな、とつぶやくだけだった。
かなり落ち込んでいるらしい。
「あなたが責任を感じることはない。周都督と約束をしてしまったのは、わたしのほうなのだ」
「しかし、あの場で周都督の部下に言いくるめられて、程都督のところへ行っていなければ、また展開はちがっていたかもしれぬ」
「いいや、あなたがついてくれていても、あの物々しい状況では、何も変わらなかっただろうよ。
もしあそこで、十日では無理だと断っていたなら、われらは捕えられていたかもしれぬ」
「何の罪も犯していないのにか」
「われらが荊州人士と手紙のやり取りをしていることを、都督は気づいたのかもしれないな。
いや、気づいていなかったとしても、都督にとって、われらがこの世に存在すること自体が、もう罪なのかもしれない。
都督も、孫家の天下統一のため、どうしても荊州が欲しいのだろう」
「孫家に、天下を取る大義名分はないぞ」
「なくてもさ。曹操のように、帝を傀儡にして天下に号令をかけるという手もあるわけだし。
あるいは、ほかになにか妙案でもあるのだろう。
さあ、そんな地べたに座り込んでいないで、早く部屋に入るといい。風も冷たくなってきたよ」
孔明が誘うと、趙雲は、まだ申し訳なさそうにしていたが、立ち上がった。
つづく