帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第七 恋上 (二百八十六)(二百八十七)

2015-07-07 03:39:00 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

歌の言葉については、清少納言枕草子女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。


 

拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首

 

をとこのとひ侍らざりければつかわしける        読人不知

二百八十六 ありへんとおもひもかけぬよの中は なかなか身をぞうらみざりける

男が訪れなかったので遣わした            (よみ人しらず・匿名にしてあるのだろう)

(在り経むと思いを懸けない・命を捨てた、世の中は、中途半端に我が身をよ、恨まないものなのねえ……在り経るだろうと思いを懸けない・貴身の命に期待をかけない、夜の中は、なまじっか、貴身を・身お、恨まないですむことよ)

 

言の心と言の戯れ

「ありへん…在り経む…(健在で)在り続けよう…(堅牢で)在り続けるだろう」「ん…む…意志を表す…推量を表す」「おもひもかけぬ…思いも懸けない…思いも命も懸けない…思いも期待も懸けない」「よの中…世の中…男と女の仲…夜の仲…夜の中」「なかなか…中途半端に…なまじっか」「身をぞ…身おぞ…貴身のおとこを」「うらみざり…恨みあらず…恨むことなし…恨まないですむ」「ざり…あらず…打消しを表す」「ける…けり…気付き・詠嘆」

 

歌の清げな姿は、(世を捨てた、我が身を恨まない)死んで君を恨んでやる。

心におかしきところは、(小ふね、小えだ、薄などと)、貴身を恨まなくて済むわ。

見捨てられたと思う女のしっぺ返しだろうか、男の心も身も不満なありさまを言葉にした。裏返せば恋歌なのだろう。

 

『拾遺集』では、終句「なげかざりける」とある。「(わが身を)嘆かないことよ・嘆かずにすむ・いつも嘆いていた……(貴身を)嘆かないことよ・嘆かずにすんだわ・いつも嘆いていたことよ」「なげく…嘆く…悲しむ…溜息をつく…切に乞い願う」。

勅撰集では「恨み歌」は撰ばない。国風の表れる歌は、「明日香川、瀬になる恨みも聞こえず、細石の巌となる喜びのみぞ有るべき」(古今集仮名序)だからである。

 

 

題不知                       (読人不知)

二百八十七 ゆふけとふうらにもよく有りこよひだに こざらん人をいつかたのまむ

        (題しらず)                     (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(巷の・夕占いに問い、よく有る吉と出た今宵でさえ、来ない人を、いつまで頼むか・もう頼みにしない……夕家訪う、心にも良い、今宵でさえ・小好いさえ、来ないおとこを、出づか頼まむ・出たかと頼む)

 

言の心と言の戯れ

「ゆふけとふ…夕占問う…夕方の辻占いに問う…夕家訪う…夕方わが家に訪れる」「うら…占い…裏…心のうち」「よく有り…しばしば有る…吉とある」「こよひ…今宵…小好い…小さな快感」「こざらん…来ない…訪れて来ない…(快感)来ない」「人を…男を…おとこを」「いつかたのまむ…何時頼もうか・頼まない…いづまで頼もうか・出たら頼まない」「いつか…何時か…出づか…出たか」「む…意志を表す」

 

歌の清げな姿は、(占いが吉とでた今宵さえ来ないとは)もう君を頼りにしない。

心におかしきところは、(来てくれてうれしいのに)小好いさえ来ない、いつ出るかと願う。

男の心も身も、もの足りない女の思いを、言葉にした。裏返せば恋歌なのだろう。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。