■■■■■
帯とけの拾遺抄
藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。
平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれて、その真髄は朽ち果てている。蘇らせるのは、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。
拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首
をんなの許につかわしける 藤原惟成
三百三 人しれずおつるなみだのつもりつつ かずかくばかりなりにけるかな
女の許に遣わした (藤原惟成・花山天皇の側近で、院の出家の後を追って出家、三十八歳で亡くなった人)
(人知れず落ちる涙が積り続けて、流れる水に空しく・数印すほどになってしまったことよ……人知れず、おつる汝身唾のつもりつつ、数しるす・流れる水、程になってしまったなあ)
言の心と言の戯れ
「おつる…落つる…おに連なる」「なみだ…目よりこぼれる涙…身よりおつる汝身唾」「な…汝…親しきもの…おとこ」「つつ…継続・反復を表す…筒…空しきおとこを思わせる」「かずかく…数書く…流水に数を記す…空しい…数斯く…数これ程に」「なりにけるかな…なってしまったなあ…なってしまった・気付き・詠嘆・感動・感嘆」
歌の清げな姿は、(数々恋文を書き遣ったが、無しのつぶてとなる)片想いのはかなさ。
心におかしきところは、おとこなみだをむなしさを訴える乞い歌。
女の許に仕える女房たちを、先ず「あはれ」と思わせれば、「物越しでもよければ、逢わせましょう」となるだろう。
古今和歌集 巻第十一 恋歌一 題知らず、よみ人知らずの歌が、作者にも相手にも女房たちにも、知識としてあるだろう。我々も聞いてみよう。
ゆく水に数かくよりもはかなきは 思はぬ人を思ふなりけり
(流れる水に、数を記すよりも、はかないのは、我を・思わない人を思うことだなあ……ゆく女に、数を記すより、はかないのは、もの思はない女を思ったことよ)
言の心と言の戯れ
「ゆく…行く…逝く」「みづ…水…言の心は女」「数かく…数の印を入れる…数を記録する」「はかなき…果敢ない…何にもならない…むなしい」「おもはぬ…思わない…こちらを恋しない…もの思わない…何とも感じない」
歌の清げな姿は、片思いのはかなさ。
心におかしきところは、感の極みに・山ばの絶頂に、女を送り届けられない空しさ。
同じ片思いの歌のようで、「心におかしきところ」は異なる世界である。
題不知 読人も
三百四 君こふるなみだのかかる冬の夜は こころとけたるいやはねらるる
題しらず (よみ人も知らず・女の歌として聞く)
(君を恋する涙の、かかる・このような、冬の夜は、独り・心うちとけて寝られるものか寝られやしない……貴身を乞う汝身唾の、このような冬の夜は、ここらのゆるんだ井は、寝られるものか寝られやしない)
言の心と言の戯れ
「君…愛しい男…貴身…おとこ」「こふる…恋う…乞う…求める」「なみだ…目の涙…ものの汝身唾」「かかる…掛かる…このような」「こころとけたる…心うちとけた…安心した…此処ら解けた…もの締りのない」「こころ…心…ここら…此処ら」「ろ…ら…接尾語…親しむものに付く」「とけたる…解けたる…締まらない…拾遺集では・こほる…氷る…凝固する」「いやはねらるる…寝やは寝られる…井やは寝られる」「い…寝…井…おんな」「やは…反語の意を表す…(寝られるものか寝られやしない)」
歌の清げな姿は、君を恋いつつ、涙にくれて寝る冬の夜のありさま。
心におかしきところは、なみだも氷る冬の夜、此処ら、斯かるまま・熱く解けたまま、寝られるかと言う女。
詠み人を知って居ても匿名にすべき歌だろう。言葉の綾に包んで、ほんとうの心根を表すのが歌である。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。