帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの拾遺抄 巻第八 恋下 (三百九)(三百十)

2015-07-21 02:30:01 | 古典

          


 

                         帯とけの拾遺抄


 

藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。

清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。

平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。


 

拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首

 

(題不知)                      (読人不知)

三百九 風さむみこゑよわり行くむしよりも いはでものおもふわれぞまされる

(題しらず)                     (よみ人しらず・女の歌として聞く)

(風が寒くて、声弱りゆく秋の虫よりも、もの言わずに、もの思いする我ぞ、哀しさ・勝っている……心風が寒くて、小枝弱り逝く、飽き果てた武肢よりも、もの言わずもの思うわたしは、哀しさ・増している)

 

言の心と言の戯れ

「風…初冬の風…心に吹く冷たい風」「さむみ…寒いので…(心に吹く風が)冷たいので」「こゑ…声…虫の鳴き声…小枝…おとこ」「よわり行く…弱まって行く…弱り逝く」「むし…虫…秋の虫…武肢…武子…強かったおとこ」「いはでものおもふ…忍びつつもの思う…無言で言い難き事を思う…泣くことなくもの思う」「まされる…勝っている…増している」

 

歌の清げな姿は、初冬となれば、もの哀しい秋の虫の声、衰えゆく、もの思いする我は誰よりも哀しい。

心におかしきところは、飽き果てて小枝衰えゆくときの、女の心情。

 

 

天暦御時承香殿の前をうへのわたらせたまひてことかたへおはしましけければ

奏して侍りける                        徽子女御

三百十 かつ見つつかげはなれ行く水の  おもにかくかずならぬみをいかにせん

天暦の御時、承香殿の前を主上がお渡りになられて、違う方へいらっしゃったので、奏上された  (徽子女御・斎宮女御、徽子女王とも称される、もと伊勢の斎宮で入内は二十歳。身分と年齢は最高位)

(お見かけすると同時に、かけ離れ行く、水の面に書く数のうちにも入らない女の身を、どうすればいいのでしょう……且つ見つつ、おかげ、離れゆく、女の顔に、斯く数の内にも入らない身を、どうしましょう)

 

言の心と言の戯れ

「かつ見つつ…今日こそは今日こそはと見ながら…次々と見ながら」「見…目で見ること…覯…媾」「かげ…影…お姿…お蔭…陰…おとこ」「はなれ行く…離れ行く…端熟れ逝…ものがよれよれになってゆく」「は…身の端…陰」「水…言の心は女」「おも…表面…水面…顔…容貌」「に…場所・原因・理由などを表す他、多様な意味を表す言葉」「かく…書く…記す…斯く…このように」「数…寵愛される女の数…顔の好い女の数」「み…身…身の上…身体」「いかにせん…どうしたらいいのでしょうか…疑問…どうすればいいの、どうしょうもない…反語」

 

歌の清げな姿は、寵愛の移り行く女御の悲哀。

心におかしきところは、かけ離れゆく原因理由は、女の数にも入らなくなった容貌の衰え、如何ともしがたいという自覚。

 

歌言葉の戯れに心根が顕れるように詠まれてある、これが「歌の様」ある。「水」の「言の心」を女と心得える人には、歌の裏の形相が見えるだろう。「歌の様を知り、言の心を得たらむ人は、大空の月を見るが如くに、いにしへを仰ぎて今を恋ざらめかも」これは、紀貫之の言葉である。「歌の表現様式を知り、言の心を心得よ」と教えている。

 

余計な事だけれども、言わねばならない。国文学は「ことの心」を「事の心」と決めつけ、「大空の」などと、余計な飾り言葉のある意味のよく伝わらない文章にしてしまった。「月」の言の心を「月人壮子(万葉集の歌語)…おとこ」と心得る人達には、「大空の」は必要なのである。なければ「おとこ」を仰ぎ見ろと言われてもねえ、と笑いの種になるだろう。


 

「歌の様」と「言の心」について、古今和歌集巻第一 春歌上の二首目にある貫之の歌で確認してみる。

 

春たちける日よめる              紀貫之

袖ひじてむすびし水のこほれるを 春立けふの風やとくらむ

(袖濡れて手で掬った水が、今は・氷っているのを、春立つ今日の風は解かすだろうか……身の端濡れて結んだ女が、硬く冷たくこほるのを・心に春を迎えていないのを、春立つ京の心風は解かすだろうか)

 

言の心と言の戯れ

「袖…そで…衣の端…身の端」「むすびし…(手で)掬った…(ちぎり)結んだ」「水…言の心は女」「こほれる…氷っている…硬く冷たい…こ掘る…まぐあう」「春立つ…立春…春の情立つ…張る立つ」「けふ…今日…京…山ばの頂上…感の極み」「風…心に吹く風…春情の風」


  立春の日の景色は歌の清げな姿である。「言の心」を心得ると、貫之の青春の日の或る情感を詠んだ歌と聞くことができる。

 

 

『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。