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帯とけの拾遺抄
藤原公任撰「拾遺抄」を、公任の教示した「優れた歌の定義」に従って紐解いている。新撰髄脳に「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」とある。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
清少納言は枕草子で、女の言葉(和歌など言葉)も聞き耳(聞く耳によって意味の)異なるものであるという。藤原俊成古来風躰抄に「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」とある。この言語観に従った。
平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような、今では定着してしまった国文学的解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。和歌は「秘伝」となって埋もれその真髄は朽ち果てている。蘇らせるには、平安時代の歌論と言語観に帰ることである。
拾遺抄 巻第八 恋下 七十四首
(題不知) (読人不知)
三百二十一 恋するがくるしきものとしらすべく 人を我がみにしばしなさばや
(題しらず) (よみ人しらず・男の歌として聞く)
(恋することが苦しいものと、知らせることができるように、あの人を我が身に、しばらく為したい……乞い求めることが苦しいものと、知らせなければならないので、あの人の身を我が身に、しばらく為したい)
言の心と言の戯れ
「恋する…乞いする…身を求める」「くるしき…(恋しさわかってもらえず)苦しい…(求めても得られなくて)苦しい」「べく…べし…(知らせることが)出来るように…(知らせるのが)いいので…(知らせ)なければならないので」「なさばや…為したい…そうしたい」「ばや…願望を表す」
歌の清げな姿は、再三の恋文にもつれない人に、男のうそぶき。
心におかしきところは、あの人の身を我がものにしたいという、おとこの欲望の婉曲なつぶやき。
(題不知) 東宮女蔵人左近
三百二十二 ふらぬよのこころをしらでおほぞらの あめをつらしと思ひけるかな
(題不知) (東宮女蔵人左近・小大君、三条天皇東宮の御時の女蔵人)
(時の・経たない夜の女心も知らずに、降る・大空の雨を、ひどい仕打ちと思ったことよ……君・触れぬ・振らぬ・お雨降らぬ、夜の女心をしらずに、降る・大空の雨を、薄情・思いやりのない・辛い仕打ちをするものと、思ったことよ)
言の心と言の戯れ
「ふらぬ…(時が)経たない…(柔肌に)触れない…(身を)振らない…(おとこ雨)降らない」「おほぞらのあめ…大空の雨…おとこ雨ではない…汝身唾の雨ではない」「つらし…ひどい仕打ち…薄情…思いやりがない…辛い…苦痛」「けるかな…気付き・詠嘆を表す」
歌の清げな姿は、独り寝の雨の夜、男が来られない口実にするだろう大空の雨をうらんでいる。
心におかしきところは、男の薄情をなげき、大空の雨になげつけた。
次のようにも聞こえる。
「雨降らない夜の、来てくれた君の・心も知らず、来ない夜は・大空の雨をよ、ひどい仕打ちと思ったことよ」
左近(小大君)は、公任にとって当代の歌人。左近の歌を優れた歌として取り上げたのは公任が最初だろう。
近世以降、この歌の巧みさが聞こえなくなった。「ふる」を「大空の雨」という言葉に誘引されて「降る」と一義に決めつけたことにある。まして「雨」が「おとこ雨」でもあるとは、夢にも思えない大真面目な言語観と倫理観が邪魔して、平板な歌にしか聞こえなくしてしまったのである。
左近の歌の言葉(女の言葉)は、同じ時代の清少納言が枕草子に記すように、「聞き耳異なるもの」(聞く耳により意味の異なるもの)である。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。