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帯とけの拾遺抄
藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
歌の言葉については、清少納言枕草子「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。
平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。
拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首
題不知 読人不知
三百二 我がごとくものおもふ人はいにしへも 今行くすゑもあらじとぞ思ふ
題しらず (よみ人しらず)
(我が如くもの思う男は、昔も、今も、未来にも、いないだろうとだ、思う……わたしのように、もの思う女は、いにしえも、いまも、ゆくすえも、いないでしょうと、思うわ)
言の心と言の戯れ
「ものおもふ…もの思う…はっきり言い難いことを思う…恋に悩みあれこれと思う…異性を求めてあれこれと思う」。
歌の清げな姿は、人を恋し成就してもしなくても悩み、あれこれと思うさま。
心におかしきところは、人と和合してもしなくても悩ましく、あれこれと思うさま。
多情な男、または女の、それを自覚した歌である。
伊勢物語(第二十七段)には、女の「もの思う」一つの様子が語られてある。
むかし、をとこ、女のもとに一夜いきて、又もいかずなりにければ、女の手あらふ所に、ぬきすをうちやりて、たらひのかげに見えけるを、みづから、
(昔、男・武樫、おとこ、女の許に一夜行って、次の夜行かなかったので、女が手洗う所で・何がいけなかったのかひどい侮辱だと思い腹立てて、たらいの上の、貫簾をうち遣って、たらいの水に映るわが影が見えたので、自ら詠んだ)。
我ばかり物思ふ人は又もあらじと おもへば水の下にも有けり
(わたしほど、もの思う女は、又とないだろうと思えば、水の底にも、まだ有ったことよ・もの思い過ぎたのかしら……わたしほど、心に・もの思う女は、又といないだろうと思えば、女の身の下にも、同じ思いのおんなが有ったのだ・その所為ね)
と詠むのを、こざりけるをとこ、たちききて
(と詠むのを、昨夜・来なかった男、立ち聞きしていて)
みなくちに我や見ゆらんかはづさへ 水のしたにてもろごえになく
(池の・水口に、我が見えるとするか、蛙さえ、水の下で大勢声あげて鳴くのだよ……おんなの入り口に、わが・武樫おとこが見えるとするか、蛙でも・ましておんなは、諸々の意味込めた声で、よろこびに泣くのだ・あなたは且つ乞うと泣き続けた)
言の心と言の戯れ
「水…みづ…言の心は女」「水のした…水の底…女の下…おんな」「見…覯…媾…まぐあい」「鳴く…泣く」
このように言葉の戯れの意味を心得ると、伊勢物語の地の文も歌も、心に伝わるように聞くことができる。
女が自らこのように歌を詠んだ時、自らの多情ぶりを十分自覚していることがわかる。
男が、二夜連続で来なかったわけは、おとこの、はかない性の所為である。さすがの武樫おとこも、涸れ尽きたのだろう。男の歌は、貴女の諸声には感極まった喜びがなかったと、告げている。
これにて、「拾遺抄」巻第七、「恋上」は終わる。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。