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帯とけの拾遺抄
藤原公任の撰んだ優れた歌の集「拾遺抄」を、公任の教示した優れた歌の定義「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしきところあるを、優れたりといふべし」(新撰髄脳)に従って紐解いている。この「心におかしきところ」が蘇えれば、和歌の真髄に触れることができるだろう。
歌の言葉については、清少納言枕草子「女の言葉(和歌など)も、聞き耳(によって意味の)異なるものである」と、藤原俊成古来風体躰抄「歌の言葉は、浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨(主旨・趣旨)も顕る」に学んだ。
平安時代の歌論にはない、序詞、掛詞、縁語を指摘するような江戸時代以来定着してしまった解釈はあえてしない。平安時代の歌論を無視し言語観にも逆らって、歌を解くことになるからである。
拾遺抄 巻第七 恋上 六十五首
題不知 読人不知
三百 やほか行くはまのまさごと我がこひと いづれまされりおきつしまもり
題しらず (よみ人しらず・女の歌として聞く)
(八百日行程の浜の真砂の数と、わが恋と、どちらが勝っているか、沖の島守よ……遥かに続く、浜の真砂の数と、わが乞う数と、どちらが勝っているか、奥の肢間の守り人よ)
言の心と言の戯れ
「やほか行く…八百日の行程…遥かに遠い」「はま…浜…言の心は女…端間」「こひ…恋…乞い…求め」「まされり…増さっている…勝さっている」「おきつしまもり…沖津島守…沖の島の番人…奥の肢間の守り人…おんなの女主人…女…我」
歌の清げな姿は、多情を自覚する女の自問自答。乙麻呂のお相手の女かもしれない。
心におかしきところは、女に、その奥の肢間が、わが乞いの多さを問うところ。
本歌は万葉集巻第四、「相聞」にある。「笠女郎贈大伴宿祢家持歌二十四首」の内の一首である。
八百日往 濱之沙毛 吾恋二 豈不益歟 奥嶋守
(八百日往く、浜の真砂も、わが恋に、あに益さらじや、奥之嶋の番人よ……遥かに往く濱の真砂も、わが恋に、決して勝らないでしょうか、沖の奥の島の番人よ)
家持は、他に中臣女郎、紀女郎ら多くの女達から歌を贈られているが、家持への恋歌ではなく、全ては、はるかなる、柿本人麻呂を恋する歌と聞いてよさそうである。人麻呂にたむける歌だろう、挽歌と言ってもいい。それは、万葉集の歌の並びと、歌の内容が示しているとしか言いえないが。
みちをまかり侍りてよみはべりける おとまろ
三百一 よそにありて雲井に見ゆるいもが家に はやくいたらむあゆめくろ駒
道を往きて詠んだ (石上乙麻呂・拾遺集では、ひとまろ)
(余所に居て、雲井に見ゆる愛し人の家に、早く至ろう、歩み、進め我が・黒駒……余所に居て、雲の井にまみえる、愛しい女の井辺に、強烈に至ろう、歩め強い吾が股ま・駆け過ぎてはならぬ)
言の心と言の戯れ
「よそにありて…配所に往く道中にあって…余所に居て…遠く離れていて」「雲井…遥かにところ…心雲充満の井」「井…おんな」「見ゆる…目に見える…思われる…まみえる」「見…覯…媾…まぐあい」「いもが家…愛しい人の家…愛しい女の井辺」「はやく…早く…激しく…強烈に」「いたらむ…至ろう…(感の極みに)至り尽きよう」「あゆめ…歩め(命令形)…駆けるな…早く過ぎるな」「くろ…黒…強い色…くろがねの」「駒…こま…股間…おとこ」
歌の清げな姿は、(遥か遠き所に居て、愛しい女の家の辺りを思う、早く到着したい)。都を遠ざかる流人の逆行する妄想。
心におかしきところは、雲井の女との交情を彷彿させるところ。
本歌は万葉集巻第七、題「行路」、柿本朝臣人麻呂之歌集出。
遠有而 雲居尓所見 妹家尓 早将至 歩黒駒
(遠くに居て、雲居に見える妻の家に、早やく至らむ歩め黒駒……妻と・遠く離れて居て、心雲見える、妻が井へに、早く至ろう、駆けるな・ゆっくり歩めよ、黒こ間)
「雲…空の雲…心に煩わしくも湧き立つもの」「早…速…激しい…強烈」「駒…こま…股間」。この程度の戯れは此の歌に既にあったと思われる。
『拾遺抄』の原文は、新編国歌大観(底本は宮内庁書陵部本)によった。歌番もそのまま附した。群書類従に別系統の底本の原文がある、参考とした。