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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(65)
(題しらず) (よみ人しらず)
折りとらばおしげにもあるか桜花 いざ宿かりて散るまでは見む
(折り取れば、惜しい気がするなあ、桜花、さあそれでは、宿借りて散るまでは花見しょう……折り取れば・降り去れば、惜しい気がするなあ、おとこはな、いざ、宿借りて・や門かりして、散り果てるまでは見よう)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「おりとらば…降り去れば…をりとらば…(桜の枝)折り採れば…(身の端)折り取れば」「おしげ…をしげ…惜しげ…愛しさ感じる…愛着を感じる」「か…感嘆・詠嘆の意を表す」「桜花…木の花…男はな…身の端…おとこ」「いざ…さあ…人を誘う時に発する言葉…井さ…おんな」「やど…宿・家の言の心は女…や門…おんな」「かりて…借りて…狩りして…猟して…めとって」「見む…見よう…連れ合となろう」「見…覯…媾…まぐあい」「む…意志を表す…勧誘する意を表す」
折り取っては、愛おしく感じるなあ、桜花、さあそれでは、宿に泊って散るまでは、花見しょうよ――歌の清げな姿。
折り取られ降り去れば、愛着感じるなあ、おとこ端、さあ、や門借り狩りして、散り果てるまでは・効能なくなるまでは、見よう――心におかしきところ。
この歌も、男の心に思うことを、桜にこと寄せて、清げに言い出した歌と聞いた。添えられてある「心におかしきところ」が、歌言葉の戯れのうちに顕れている。一過性はおとこの性(さが)である、散り尽きるまでは、めんどう見ようというほかない。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)