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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(67)
桜の花の咲けりけるを見にまうで来たりける人によみて
贈りける 躬恒
わがやどの花見がてらにくる人は ちりなむのちぞ恋しかるべき
桜の花が咲いたことよ、それを見にいらっしゃった人に、詠んで贈った・歌 躬恒
(わが家の花を見るついでに来る人は、花が散ったその後に、再び来ないと思うので・きっと君が恋しくなるでしょう……わがやの男花を、見ながら、繰りかえされる女人は、おとこ花の散ってしまう、その後に、きっと、恋しいと乞うのでしょうね)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「花…桜…木の花…男花…おとこはな」「見…見物…覯…媾…まぐあい」「がてらに…ついでに…しながら…しつつ」「まうで…来るの丁寧語…繰るの丁寧語」「くる…来る…繰る…繰りかえす」「人…親しくしはない貴人…まだ親しくはない女人」「ちりなむ…散ってしまうだろう…果ててしまうだろう…尽きてしまうだろう」「なむ…「こひし…恋し…乞いし」「かるべき…(こいしく)あるべき…(恋しく)なるだろう…(恋しく)なるに違いない」「こひし…恋し…乞いし」「べき…べし…確信をもって推量する意を表す」
花見がてらに訪れたお人は、散ってしまうその後に、来年までお目にかかれそうもないので、きっと恋しくなるでしょう。――歌の清げな姿。親しくはない貴人に贈った挨拶の歌の体裁をしている。
おとこはなを見ながら繰りかえされる女性は、散り果てた後も、きっと乞うのでしょうね。――心におかしきところ。
いまだ親しくなれない女人に贈った恋文(艶書)のようである。このエロスが女の心の琴線に触れれば、「あはれ」とか「をかし」と感じるだろう。
春歌は、春の風物にこと寄せて、さまざまな人の心を表現してある。恋のなかだちともなる。真名序にある「以此為花鳥之使」は、「これ(和歌)を以て、花鳥(男と女)の使い(使者・なかだち)と為す」と読んでいいだろう。
「花…梅・桜など木の花…万葉集・古今集を通じて木の花の言の心は男」「鳥…神世から言の心は女。古事記などを、その気になって一読すればわかる」。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)