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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。
「古今和歌集」巻第二 春歌下(71)
(題しらず) (よみ人しらず)
残りなくちるぞめでたきさくら花 ありて世中はての憂ければ
題しらず 女の詠んだ歌として聞く
(残すことなく散るのが愛でたい桜花、残して有っても、この世の中、散り果てが辛いのだから……残りなく尽くし果てるのが愛でたいのよ、おとこはな、余して有っても、夜の仲の尽き果ては、満ち足りることなく辛いのだから)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「ちる…散る…尽き果てる…離れ離れになる」「さくら花…桜花…男花…男の端…おとこ」「世中…この浮き世の中…夜中…夜の仲」「果て…尽き果て…女と男の峰の別れ・朝の別れ」「うければ…憂ければ…身や心が不満足で辛らければ…つれなくて嫌だから」「う…憂…不満足で、ゆうつ・つらい・いや」。
散るなら・残すことなく散るのが愛でたい桜花、残して有っても、この世、果ての別れは辛いのよ――歌の清げな姿。
残すことなく、わが何は津に身を尽くしてこそ愛でたいのよ、咲くおとこ花、残してもどうせ、女と男の仲、ものの果ては辛いのだから。――心におかしきところ。
女の心に思うことが「心におかしきところ」として、「清げな姿」と共に言い出されてある。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)