帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(72)この里に旅寝しぬべし桜花

2016-11-14 19:18:20 | 古典

             


                          帯とけの「古今和歌集」

                ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――


 「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。
それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。

 

「古今和歌集」巻第二 春歌下72

 

(題しらず)             (よみ人しらず)

この里に旅寝しぬべし桜花 散りのまがひに家路わすれて

題しらず               男の詠んだ歌として聞く

(この里に旅寝してしまうだろう、桜花、散り乱れる、すばらしさに紛れ・家路のこと忘れて……このさ門に、度々寝て死ぬだろう、おとこ端、おとこ花の・散りの乱れに、女の・井へ路を忘れて)

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「里…さと…言の心は女…ふるさと…生まれたところ…さ門…み門…おんな」「さ…接頭語」「と…門…身の門」「たび…旅…度…度々…何度も」「しぬべし…してしまうだろう…死ぬだろう」「し…す…為す…死」「ぬ…完了した意を表す」「桜花…木の花…男花…男端…おとこ」「はな…端…おとこ花…白いお花」「散り…離散…離れ離れ…果て」「まがひ…乱れ紛れ…入り乱れ見分けがつかない…乱れ見失う」「見…覯…媾」「家…いへ…言の心は女…井辺…おんな」「路…言の心は女…通い路…おんな」「わすれて…忘れて…記憶をなくして…我を忘れて…(別のことに気を取られ)わすれて」。

 

この里で旅寝してしまうだろう、桜花、散り乱れ・敷きつめられた花びらに、家へ帰る路、わからなくなって。――歌の清げな姿。

このさ門に、度々寝て死にそうだ、咲く白いお花、果ての乱れに紛れて、我を忘れて・貴女も井辺路のことも忘れて。―心におかしきところ。

 

山ばのの京(絶頂)に送り届けるべき女のことを忘れて、すばらしい身門に尽き果て、池(逝け)に堕ちた男のありさまが、言の戯れを利して表出されてある。

 たぶん、(71)の歌のような「残すことなく、尽き果てるのが、愛でたいのよ」というような女の思いに応じたのだろう。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)