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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(66)
題しらず 紀有朋
さくら色に衣は深くそめてきむ 花の散りなむのちのかたみに
題しらず 紀有朋(友則の父)
(桜色に、衣は深く染めて着よう、花の散ってしまうその後の、形見に・思い出のよすがに……男の色情に、心身は深く染めておこう、おとこ花の散ってしまうその後の、かたみに・片身のために)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「さくら色…男の色」「色…色彩…色香…色情…色欲」「衣…ころも…心身を被うもの…心身の換喩…身と心」「花…木の花…男花…白いおとこ花…おとこ端」「なむ…(完了して)しまうだろう…強調する意を表す」「かたみ…形見…思い出のよすがとなる品…片見…不満足な見…片身…女の身」「見…覯…媾…まぐあい」「に…ために…(形見の品とする)為に…(喪失感を和らげる)為に…(女性の不満を和らげる)為に」。
薄い紅色の白に、衣は深く染めて着よう、桜の散るその後の、形見の品とするために。――歌の清げな姿。
男の色情に、身と心は深く染めて、着けておこう、おとこ花の散るその後の、女の嫌う片見を和らげるために。――心におかしきところ。
おとこ花が散った後の男の喪失感と女の不満足感に備えて、日ごろから男の色情は深い色に染めておけよという教えだろう。散った後、又見るのは、一過性のおとこの性(さが)にとって難しい。せめて心身を色情深く染めておけよと。
紀有朋は、友則の父。貫之の父とは兄弟。歌は古今集に二首あるのみ。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本に依る)