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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。
「古今和歌集」巻第一 春歌上(巻末の一首・68)
亭子院歌合の時よめる 伊勢
見る人もなき山里のさくらはな ほかのちりなんのちぞさかまし
「亭子院歌合」の時に、詠んだと思われる・歌 伊勢
(花見する人もない山里の桜花、他の花の散ってしまう後に、咲けばいいでしょう・人は皆もて囃すわよ……みる女もいない、山ばのすその、おとこ端、他の男なら・散ってしまう後に咲くといいでしょうよ)
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「見…目で見ること…覯…媾…まぐあい」「人…人々…女」「山里…山合いの里…山ばのすそ」「さくらはな…桜花…木の花…男花…男端」「ほかの…他の花…他の男…普通のおとこ」「まし…(何々)ならばよいのに…(何々)すればいいのに…適当の意を表す。不満や希望の意など含まれることが多い」。
花見されない山里の桜、他の花がすべて散ってしまう後に、咲くといい・人は見に来て、もて囃すでしょう。――歌の清げな姿。
みむきもされない山ばのすそのおとこ端、他の男どもの散り果てる後にさくといいわ・女たちにもてもてで、引く手あまたよ。――心におかしきところ。
女の心に思う事を、仲間の女たちを代表して言い出した歌のようである。女たちは共感しつつ微笑み心和む歌だろう。
「亭子院歌合」は、宇多天皇が院(上皇)となられた寛平八年(897)より亭子院で行われた歌合で、最初は、譲位の翌年昌泰元年(898)の「亭子院女郎花合」で、その他に、伝わるのは「延喜十三年亭子院歌合」であるが、この歌は、そこにもない。亭子院歌合は、古今集成立とされる延喜五年(905)以前に何度も行われたと思われる。その何れかの歌合の時の歌だろう。
これにて、古今和歌集 巻第一 春歌上は終わる。
人が最も「あはれ」と感じたり「をかし」と感じるのは、人の心であって四季の風物のすばらしさではない。「春歌」とあっても、春の風物やそれを鑑賞する人の心は、歌の「清げな姿」である。別に、人の色々な心が、目に見え音に聞く季節の春の風物に寄せて(又は付けて)、少年少女に初めて訪れた春情をはじめ、大人の男女の恋心や性愛の情感までさまざまである。人の「深い心」や「心におかしきところ」が、浮言綺語のような歌言葉の戯れを利して、言い出されてあった。
歌の心におかしきところは、字義を辿って聞いているだけでは、顕れないところにあるので、貫之は「玄之又玄」などという。これが、中世には秘伝となって「古今伝授」などとして残ったようだが、近世以降は、秘伝など埋もれ木となって、消えてしまったのである。
平安時代の歌論と言語観を、巻末に再度掲げる。
和歌の真髄を知るには、貫之、公任、清少納言、俊成、この人々の歌論と言語観に立ち返ればいいのである。
○紀貫之は、「歌の様」を知り「言の心」を心得る人は、古今の歌が恋しくなるだろうという。(古今集仮名序)
○藤原公任は歌の様(表現様式)を捉えている、「およそ歌は、心深く、姿清げに、心におかしき所あるを、すぐれたりといふべし」と。優れた歌には複数の意味が有るという。(新撰髄脳)
○清少納言はいう、「聞き耳異なるもの、それが・われわれの言葉である」と(枕草子3)。発せられた言葉の孕む多様な意味を、あれこれの意味の中から、これと決めるのは受け手の耳である。今の人々は、国文学的解釈によって、表向きの清げな意味しか聞こえなくなっている。
○藤原俊成は「歌の言葉は・浮言綺語の戯れには似たれども、ことの深き旨も顕われる」という(古来風躰抄)。顕れるのは、公任のいう「心におかしきところ」で、エロス(性愛・生の本能)である。俊成は「煩悩」と捉えた。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)