帯とけの古典文芸

和歌を中心とした日本の古典文芸の清よげな姿と心におかしきところを紐解く。深い心があれば自ずからとける。

帯とけの「古今和歌集」 巻第二 春歌下(85)春風は花のあたりをよぎてふけ

2016-11-29 19:18:24 | 古典

             

 

                         帯とけの「古今和歌集」

               ――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――

 

「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。                                                                                                                                                                                                                                   

 

「古今和歌集」巻第二 春歌下85

 

春宮帯刀陣にて桜の花の散るをよめる   藤原好風

春風は花のあたりをよぎてふけ 心づからやうつろふとみむ

春宮帯刀の陣にて桜の花の散るのを詠んだと思われる・歌……皇太子警護の陣屋にて、男花の散るのを詠んだらしい・歌。 藤原のよしかぜ(この頃、左兵衛の少将、後に陸奥の守という)

春風は花の辺りを避けて吹け、花は・わが心から、移ろい散ろうとしているのか、見さだめたい……心に吹く春風は、おとこ端の辺りを避けて吹け、おとこ花は・自らの心により移ろい散るのか、心風吹くから果てるのか、さだめるために見たい)。

 

 

歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る

「春風…春の季節に吹く風…春情の心風」「花…木の花…男花…おとこ花…おとこはな「はな…先端…身の端…おとこ」「よぎて…よけて…さけて…よぎって…通り過ぎて」「心づから…心自ら…心が自発的に」「うつろふ…移ろう…悪い方に変化する…衰える…果てる」「みむ…見む…観察するつもり…見定めたい…見たい」「見…覯…媾…まぐあい」「む…意志を表す…(見さだめる)つもり…(見)ようと思う」。

 

春風は、一度、花の処は避けて吹け、早々に散るのは桜の本性なのか、風の所為か、見さだめたい、――歌の清げな姿。

春情の心風によって、男先端は早々に果てるのか、それは生来のおとこの性(さが)なのか、確かめるために、見たい。――心におかしきところ。

 

男ばかりの陣屋で、夜間警護の暇々に、こんな歌を詠んで男どもは和んで居たのだろう。歌ではなく普通の言葉でこんなことを言い出したら、ただのゲスだろう。和歌は「心に思う事を見る物などに付けて言い出し」、「姿清げ」で「心におかしく」感じる表現様式を持っていたのである。

 

(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)