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帯とけの「古今和歌集」
――秘伝となって埋もれた和歌の妖艶なる奥義――
「古今和歌集」の歌を、原点に帰って、紀貫之、藤原公任、清少納言、藤原俊成に歌論と言語観を学んで聞き直せば、歌の「清げな姿」だけではなく、隠れていた「心におかしきところ」が顕れる。それは、普通の言葉では述べ難いエロス(性愛・生の本能)である。今の人々にも、歌から直接心に伝わるように、貫之のいう「言の心」と俊成の言う「歌言葉の戯れ」の意味を紐解く。
「古今和歌集」巻第二 春歌下(85)
春宮帯刀陣にて桜の花の散るをよめる 藤原好風
春風は花のあたりをよぎてふけ 心づからやうつろふとみむ
春宮帯刀の陣にて桜の花の散るのを詠んだと思われる・歌……皇太子警護の陣屋にて、男花の散るのを詠んだらしい・歌。 藤原のよしかぜ(この頃、左兵衛の少将、後に陸奥の守という)
(春風は花の辺りを避けて吹け、花は・わが心から、移ろい散ろうとしているのか、見さだめたい……心に吹く春風は、おとこ端の辺りを避けて吹け、おとこ花は・自らの心により移ろい散るのか、心風吹くから果てるのか、さだめるために見たい)。
歌言葉の「言の心」を心得て、戯れの意味も知る
「春風…春の季節に吹く風…春情の心風」「花…木の花…男花…おとこ花…おとこはな「はな…先端…身の端…おとこ」「よぎて…よけて…さけて…よぎって…通り過ぎて」「心づから…心自ら…心が自発的に」「うつろふ…移ろう…悪い方に変化する…衰える…果てる」「みむ…見む…観察するつもり…見定めたい…見たい」「見…覯…媾…まぐあい」「む…意志を表す…(見さだめる)つもり…(見)ようと思う」。
春風は、一度、花の処は避けて吹け、早々に散るのは桜の本性なのか、風の所為か、見さだめたい、――歌の清げな姿。
春情の心風によって、男先端は早々に果てるのか、それは生来のおとこの性(さが)なのか、確かめるために、見たい。――心におかしきところ。
男ばかりの陣屋で、夜間警護の暇々に、こんな歌を詠んで男どもは和んで居たのだろう。歌ではなく普通の言葉でこんなことを言い出したら、ただのゲスだろう。和歌は「心に思う事を見る物などに付けて言い出し」、「姿清げ」で「心におかしく」感じる表現様式を持っていたのである。
(古今和歌集の原文は、新 日本古典文学大系本による)