雨の翌日の森歩き。
森の入り口は、東南アジアの山岳地帯みたいな竹と芭蕉。芭蕉の葉の破れ具合がいい感じ。
その先に山茶花(←椿から訂正)
黄色いもみじ、赤いもみじ
もみじの折重なる橋を渡り、
~竜田川 からくれないに 水くくるとは~ 上の句はなんだったかな
鳥の鳴き声しか聞こえない
先日はるばる川口まで行ってみてきた、浅見貴子さんの木の作品が時折重なる。すばらしい展覧会だったなあ。(川口市立アートギャラリーアトリア 浅見貴子「樹々あそぶ庭」12月9日まで)
雨の次の日だったから、しずくが。
ススキが輝いていた
まだまだがんばるアザミ
玉つゆ
もっと奥へ。
小径のまんなかに、一輪だけの椿。入るものを上から見ているような、不思議な気配。
入りますよと思いながら通り抜けた先は、紅葉源郷。
西日を受けて輝く、最高の時間に着ついた幸運。
樹齢何年くらいなのか、太い幹。両手を大きく広げるような枝。
自分が踏んだ枝のバキッという音に、どきっとする。もみじの乗る橋を渡ってから、だれにも会っていない。しんとした音に、軽い戦慄。
さかさづりになったひとのような・・
お、メタセコイヤだ。
むかし実家にもメタセコイアの大木があった。父がこどもの頃どこだったかかから小さいのを抜いてきて植えたら、こんなに大きくなってしまったんだと言っていた。私にとっては生まれた時からあり、ネコと登って遊んでいたのに、当の父が増築する時に業者に切らせてしまった。せめて切り株くらい置いといてイスとかにしよーよーと言ってみたのだけど、しろありとか来るからムリと。。
虎カラーでなかなかおしゃれに変色。
つつじ?
タンポポ
よくわからない季節になっている。
もくれん?
山茶花が満開
小枝の先端には、ぽつっと赤い芽。
樹の穴、ヤマネとかいるとうれしいんだけど。
とのんきなことを考えていると、行き止まり、戻り、方向を見失い。そこにいちまつの心地よさ。クマやイノシシが出るわけでもないので。
これはなにかな。点々と小さな花がついている
実も。
枯れた蓮の影が映って、幾何学的な。
晩年の若冲が、こんな枯れた蓮を描いていた。1788年の天明の大火で焼け出されたあと、墨の「蓮池図」襖絵(1790年)
荒涼としたなかに、若冲は小さくてもしっかりとしたつぼみと、折れそうになりつつ首を保った種を描いていた。
さすがに12月ではつぼみは発見できなかったけど。
終始emotionalな森歩きだった。
森の外に出てきたら、絵にかいたような菊に妙に感動。この自然な感じ。
帰宅すると服にたくさんついていた草の実
