1の続きです
8室:暮らしの調度―安土桃山・江戸
湯島聖堂の釈奠器の一式にため息。上杉齊憲献納 1844
幕府により孔子を祭るために設けらた湯島聖堂の、釈奠(せきてん)の儀式に用いられたもの。釈奠器には中国様式が多いが、文具や飲食器には日本式のものもあるとのこと。
火事と喧嘩は江戸の華といいますが、火事場装束の美にため息。
火消しの陣羽織の裏側。木綿に刺し子は、水分をよく吸収するため。ど派手な模様は、消火のあとに裏返して活躍を誇示するためとか。
火事羽織 紺木綿地雷神模様刺子 19世紀
大奥の女性たちの火事装束は、非常時に必要ある?ってくらいに豪華。
火事装束 紅繻子地波模様
アンリ―夫人の寄贈。他にも歌舞伎の衣装など何点も寄贈している。どのような人なのかな?明治に夫と共に来た女性だろうか?
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8室:書画の展開 安土桃山~江戸
お目当ての久隅守景。8曲一双の大屏風。これを横に広げられる部屋があるって、大名家旧蔵?。
鷹狩図屏風 17世紀 東京・日東紡績株式会社蔵
悠々と広がる山野に田畑。権威の象徴・鷹狩りの光景だけれど、そこは守景、庶民も子供たちもしっかりと描いている。家来たちも右往左往する動きと表情がとても人間臭い。その細やかさ。守景の動物も見もの。設定が細かくて見どころ満載。
吉祥の象徴の鶴も、白鳥までも狩りの対象とは。。(合掌)。タンチョウヅル、マナヅルもしっかり描き分け。
守景の人物は印象が力強い。
家来たちはたいへん…
ちょっとさぼったり
なにしているのかな?
この人の描く人物は、どうしてか腕や脚の力強さに目がいってしまう。
皆も動物もとにかく動き回っているので、一通り見るだけでエア運動した感。豪華で雄大な屏風だった。
発注主は誰なんだろう?。探幽門下にいた時か、それとも金沢に行ってからなのか?。
この人物などは、ちょっと探幽の画(いつか見た大工さん)を思い出したけれども。
鷹狩りのもう一作は、住吉派の緻密で雅びな画。住吉派に比べるにつけ、守景はやっぱり土のにおいがする。
住吉広尚筆「鷹狩図」 19世紀
着色がきれいで緻密。飛び立った雉すら美しかった。
、
雪の積もる木々、墨のにじむ雲もきれい。
右幅は静だけれど、左幅は荒々しい風雨。
顔を覆う人物の周りには、風で散った雪の粒も描かれていた。
これは板谷家伝来資料の下絵と同じ構図とのこと。板谷家の初代・板谷桂舟(~1797)は、住吉門下で学び、奥絵師に任じられた。子孫は桂舟、桂意を交互に受け継いだ。
板谷桂舟弘延(1820~59)はその5代目。39歳で亡くなっている。
板谷桂舟弘延「草花図」
青い背景に、レンゲやすみれの小さな草花たち。
最近は奇想系を見ることが多かったので、こういった楚々としたやまと絵系の作品が新鮮に感じられたりする。春になったら、「土佐、住吉、板谷の系譜」展なんてあったら和みそう。
今回のもうひとつの興味深かったグループは、伊勢長島藩主・増山雪斎とその周辺。
増山雪斎は千葉市美術館「百花繚乱」で恐れ入りましたが、その子、雪園も、さすが親子。そして雪斎に仕えた春木南湖とその子南溟。
お殿様親子の博物と写生への熱意の敬服‥
増山雪斎「虫豸帖 」秋
雪園の画帖も、父に負けじ。南蘋風で細密。
増山雪園「四季花鳥画帖 梅花雪 」1840
南蘋派の鳥は鋭い
鹿は抒情的
なのに、南蘋ネコはどうしてこうなっちゃうんだろう??でもかわいい
こういう絵を見ると、御用絵師の南湖が、雪斎の命で長崎に勉強に出されたというのも納得。南湖の交流も興味深い。木村蒹葭堂、浦上玉堂、司馬江漢とも交流を持ち、4歳下の谷文晁にも学んだ
春木南湖「秋涛奇観図」1826
銭とう江で旧暦8月15日に起こる逆潮現象を描いている。見物人のびっくりぶりがおもしろい。
その子、春木南溟(1795~1878)の南画は、特にお気に入り。どこかで聞いたようなそうでもないようなと思っていたら、川村清雄の師であったのだった。山内容堂にも愛されたとのこと。
春木南溟「前後赤壁図 」1868
よくある山水だけれど、心に残った二幅。悠々とした遊覧に、鶴も飛んでいた。二幅とも、岸辺の佇まいが特に心に残ったところ。やわらかく光が当たり、墨の濃淡が繊細。
南溟は、少し検索すると他の絵もひかれるものが。特に「虫合戦」はおもしろそう。増山家に仕えただけのことはある(wikipedia)。他のも、古典的な画題でも、なんというか古臭くなく、清新な感じ。着色の画は丁寧で色鮮やか。そういえば上の水墨の画も、まるで色を感じるような。
幕末狩野の当主たちが自ら改革していたように、多くの大名や旗本に愛された春木親子も、あぐらを描かず新取の風を取り込んでいたんだろうか?。他の絵も見てみないことにはなにもわからないけれど、当面個展はなさそうかな‥