はなな

二度目の冬眠から覚めました。投稿も復活します。
日本画、水墨画、本、散歩、旅行など自分用の乱文備忘録です。

●東博の常設1:下村観山「白狐」、荒井寛方、与謝蕪村など

2018-12-14 | Art

カレーの市民たちの周りもイチョウが色づく、12月のある日。

 

18室の近代絵画:

観山の白狐に再会。

下村観山「白狐」1914 41歳

ボストン美術館にいた天心が執筆したオペラ「The White fox」と関連付けられるかもしれない、と解説に。天心はこのオペラをインドの女性詩人プリアンバダ・デヴィ・パネルジーに献じた。インドのタゴール邸に滞在中に出会った、タゴールの親戚の女性。天心とプリアンバダが海を超えてやり取りしたラブレターは、五浦美術館で見たことがある。天心がもう少し長生きしていたら、もう一度会えることがあったのかな。

森の様子は亡き春草を思い出す。

薄墨に金が入れられた目。観山は人間だけでなく、動物の顔も含蓄が深い。

ふわふわの純白の狐の視線の先に大きな余白。だからよけいにもの寂しくなってしまう。

琳派風の金があちこちに。秋の森、葉も金、ススキの線も金。秋の色を金で現している。もし民家のほの暗い灯りやろうそくの灯りのなかで見たら、さらに幻想的に見えるかもしれない。

 

観山は「修羅道絵巻」1900 も展示。旅姿の僧から始まるところが、無常感。以前にも見たことがあるせいか、この日はあいだのよはくの幅、つなぎのところ、背景に目がいく。

不穏で物寂し気な風を感じつつ、進行方向の左へといざなう萩。

不穏な墨。兵士の目線の先の、樹から飛ばされる枯葉の先に・・・。劇的な戦いの場面へと展開する。

 

 

その観山の「弱法師」の複製を、来日中のタゴールの求めに応じて、制作したのが、荒井寛方(1878~1945)

寛方は水野年方、瀧和亭に師事、紅児会にも参加、原三渓の支援を受ける。タゴールが滞在していた原三渓邸で、1ヶ月かけて弱法師を模写し、インドに送った。タゴールは原邸でその様子を見まもり、寛方をインドに美術教師として招待。

荒井寛方(1878~1945)「乳糜供養屏風 」1915 

しかしこれは、まだインドに行く前の作品。大観や春草は1903年にインドのタゴール邸に滞在し、インドの女性を描いている。

スジャータが釈迦におかゆをささげる。皆右を向いて、そこに描かれない釈迦がいる。大正時代らしいパステル系の色彩だけれど、インドの熱い空気のなかにあるように、牛も女性もなまめかしい。

他の作品をおそらく見たことがないと思うのだけれど、インド滞在後は劇的に画風が変わるらしい。アジャンタの石窟寺院の模写はたいへんな苦労だったそう。震災で焼けてしまったのが残念。(「タゴール、ノンドラル・ボ、シュと荒井寛方」稲賀繁美 2011 から。とても興味深い論文。)

 

狩野芳崖(1828~88)「山水」1887 目の粗い麻布に描かれている。

今年は「芳崖と四天王展」など、芳崖を見る機会に恵まれた。これは亡くなる前年の作、「年六十 芳崖」と落款。60歳を迎え、気持ちを新たにした決意の作だろうか。

これが芳崖そのひとなんだと、心打たれる作だった。雪舟のような筆致で、激しく強い。とがった岩に切られそう。ここまでくると頭でどうこうより、体が自然に描いている。悲母観音など彩色の絵も描きつつも、つねに原点とともにある。画家として激しいものを内在させ、激しいまま死んでいった人なんだろうか。

 

熊谷直彦(1828~1913)「雨中雨山図」1912

馬に目がいく。先日のぶら美で、五郎さんが上手い画家は馬が上手いと言っていたので。これは黒目のかわいい顔をした馬だった。澄んだ山のぼかしもきれい。

これも亡くなる前年の作。なにか意図があるのかな?。芳崖と熊谷直彦、同世代の、江戸と京の絵師。狩野と四条派。二人ととも原点に返った感じ。

 

土田麦僊「明粧」、鶴沢探真「王昭君」は、装う女性を描いている。

なかでも鶴沢探真の「王昭君」がちょっと気になる。美しいけれど、菱田春風の「王昭君」のはかなげなイメージと違い、鏡の前でどっしりと立っている。指のごつさも気になる。年齢は、顔はお化粧で隠せても、手はごまかせないといいますが、まさかそれを意識したってことはないでしょうけれど。それとも、王昭君の覚悟の絵なのかな?。

 

しばらく展示してあった、川村清雄「虫干し」も この日でとうぶん見納めかも。何度見てもつかまる絵。

現在と過去、現実と非現実、和と洋が入り混じる。この日はとくに、直垂の純白とその後ろの赤、絨毯に散った野菊が目に入る。清雄の、水墨のような筆致が、潔くてかっこいい。

 

ほかには橋本静水「一休」など。

 

途中で地下に降りて行ったら、暗い部屋からトーハク君が叫んでいましたよ。

 *

3室:

「真言八祖像 恵果 」・「真言八祖像 空海」1314 真言密教をインド中国日本に伝えた、八祖を描いたうちの二幅

この絵仏師の描く目に引き込まれる。空海は全身から強さ、激しさが伝わる。恵果の後ろの童子には、安田靫彦を思い出した。

 

「東北院職人歌合絵巻 」14世紀 10名の職人を左右に置き、月と恋の歌を詠み競わせた職人歌合絵巻の現存最古のもの。

職人がいろいろ当時らしくてツボ。脇の道具類も興味深い。医師、陰陽師、鍛冶(服が火の色っぽい)、番匠(Carpenter)、刀磨(わきに砥石が)、鋳物師、巫女(なんかちょっとイメージが・・)、博打(職業なのか?)、海女、買人、経師(中国語:写経師。英語:Sutra maker)。

 

狩野元信の墨だけの四季花鳥図(個人蔵、撮影不可)は、やはり惚れ惚れ。まさに鳥の楽園。木からひょいと顔を出す鳥、動きがシンクロする二羽、寒さに膨らんだ雀たちなど、どの鳥もしぐさがかわいい。母の後ろをついて歩くひな鶴を振り返る母鶴は、まるで人間の親子のよう。母鶴は目がパッチリの美人さんだった。叭々鳥はキッとしたつり目で好きなタイプ。両隻の間の空間のふわりとした薄墨の美しいこと。

 *

7室

呉春「山水図屏風」

樹々はさまざまなバリエーションの点や線で、リズミカルに反復していて、心地よい。奥行きある山は応挙風。

右隻のなだらかで量感ある山に対し、左隻では、急峻にそびえる。その山並みは、しつこいくらいに奥行きを強調している。

雄大な屏風だった。

 

そして楽しみにしていた 与謝蕪村「蘭亭曲水図屏風 」1766 

木陰がここちよい。岩の線もやわらかく、ほろ酔いのおじさんたちもゆるくいいモード。

蕪村の人物は顔がかわいいの

樹がとてもよくて、さまざまな葉は全体を通して飽きない。自然の気を満喫できる屏風。

点描はもはや印象派。木漏れ日がなんてきれいなんだろう。

最後の扇の青い茶碗が余剰をのこして流れていく。

光がやわらかい。さほど多くの色を使っているわけではないのに、全体を通して、やさしい色彩が流れていた。

いいもの見たなあ。

 

続きはまた次回に。 

 

 


●野間記念館「近代日本の花鳥画」

2018-12-14 | Art

野間記念館「近代日本の花鳥画

2018.10.27 ~12.16

好きな作品の備忘録

安田靫彦の花鳥が、どれも心に残った。歴史画とはまた違う繊細さ。花を愛でる目に、なにも修正することない素の靫彦が表れているよう。

「春雨」1923 39歳

靫彦の他の大正時代の作品のような色の付け方だけど、この暗さはどうしたんだろう。首ごと落ちた椿。しんしんと落ちる雨。靫彦の花の絵といえば、意外にも色が明るく美しくまさに「馥郁たる香り」の印象だったのだけど、それは戦後のことらしい。解説には、大正時代に花の絵を描いた作品は大変珍しいとのこと。盟友今村紫紅を亡くし、日本美術院の中枢として歴史画を描き続けることで、院の社会的地位の上昇を勝ち取らねばならなかった時期とある。

プレッシャーの中でじっとゼンマイの根元を見つけていた靫彦。でも暗いと一言で片付く心情でもなさそう。影をまといつつも、色は冴え冴えと、ゼンマイの先端はくるんと水分を受けている。花の前では、幾重にもおりかさなる様様な気持ちがそのまま吐露されてしまうのかも。戦後に靫彦の花の絵が心に残るのも、同じ事なのかも。

そのとなりに展示されている靫彦の「水仙」1932 は、それから9年後。昭和らしくずいぶんすっきり。掛け軸の下半分のみに描かれた水仙はあまりに美しくて、水仙の葉の流れに入ってしまう。冬のひだまり、まさに馥郁たる香り。小さく添えられたたらしこみの南天は、「黄瀬川陣」で義経のわきに添えられていたものを思い出した。

靫彦では別室の「新樹」1933 もとても好きな作品。靫彦に、こんなにほんわかとした柔らかい部分があるのかと思った。ごく薄い墨で、さらさらと描いている。鳥は薄く乾いた墨で描いて少し黄色を乗せ、さっと尾羽をはらっている。

 

速水御舟の二点も、凄みがあった。

速水御舟「朱華琉璃鳥」1933 この緊張感。葉の一枚、枝の一本に至るまで、深淵。

 

速水御舟「梅花馥郁」1932 どこにもゆるみがない。この厳しさ。突き詰めた先の、ぎりぎりの近郊の中にある紅白の枝。

常に斬新な御舟。

 

一方、ともに研鑽した小茂田青樹は、ポエティック。「四季花鳥」の4幅はどれもすてきだった。

春の紅白のシロツメクサ、へびイチゴの点々がかわいいなあ。夏の芭蕉の葉に、かえる。さわやかな緑の雨を満喫して吸い込んでいる姿がとにかくかわいい。笹の葉の先の小さなひとしずくには、やられてしまった。

秋のイチョウにはまだ緑色の葉も残っている。冬に舞う雪と鳥はうっとり。

一時は似た絵を描いていた御舟と青樹だけれど、全く違う空気感を持っている

 

今尾景年「花鳥図」もすばらしかった。

柔らかな色彩の岩と薔薇。と思ったら、にらみをきかす挑戦的な雄鶏。おもわずすいませんっと謝ってしまう感じ。

左幅の鳥も、輪郭もなく、よくこんなにふわっとリアルに描けるもの。

薄墨、たらしこみと薄い着色でささっと描いている風。渡辺省亭に通じるかもしれない。花も葉もささっと、その筆の素早さ、勢い。さらに繊細で緻密な視線。小さな菊3輪のそれぞれちがう開き具合など、まるでひらいてゆくさまと精気を動画で見ているようだった。景年、すごい。伝統的な画題なのに、現代的な感じすらする。

 

徳岡神泉「鶉図」 雪に光がふりそそいでいる。トクサの色も映えている。なにかにハッとするウズラ。単純な背景に、ウズラの羽の宇宙的な美しさ。多くの画家がこの羽を細密に描くのもわかる気がする。

 

西山翠璋「金波玉兎」1926 は英語題はRabbit in the moon。でも月は描かれず、波を照らす光で気が付く。それとも丸いフォルムのウサギ自体が月なんだろうか。

 

堂本印象「清泉」、福田平八郎「双鶴」、富田渓仙「牡丹」も印象的。

 *

野間記念館でいつも見ものなのは、十二ケ月シリーズ。

山口蓬春の「十二ヶ月図」が、12枚どれもがぱっと印象に焼きつく作。きれいだった。鳥では、1月は鶴、2月は鵜。墨の濃淡がきれい。5月は山並みと葦の淡い緑、墨でちょいちょいと描かれた鵜。夕暮れの光に浮かぶようで情感そそられる。 6月は、薄黒雲に夕立、空の半分はうっすら青空。赤い鳥居、点のような黒い鳥、白い帆と、点のように小さなパーツが絶妙な間合い。(例によって変なメモ。)

花は、一本をシンプルに大胆に。置く位置がかっこいい。7月の紫陽花は右半分に一本、左半分は余白。少し寂し気な淡い水色の紫陽花。8月の芥子は、下半分。その上にちょんと虫を。「極小」と「中」のバランスが楽しい。色も冴えてて、白い花びらにふちが赤、葉は墨、そこへ虫の緑の点。9月の茄子は好きな画題。墨とうす紫だけで。茄子って神秘的・・。12月はほっこり。墨だけで、月に吠えるイヌ。

12枚どれも、色がキレイ。余白と構成が明確で、シンプル。だけどポップではない。抒情ポケットにすとんと落とされてしまう。

 

木島桜谷の十二ヶ月図は、動物シリーズ。馬、犬、牛、ウサギ、キツネ、ヤギ、ネコ、虎、狸、猿、鹿、猪。小さな色紙でも動物の世界観がすごい。特にキツネ、狸は、夜に行動する、その気配にぞくっとするほど。猪の体躯のリアリティ。そんななか、葡萄棚の下の囲いの中のヤギのおとぼけ感ときたら。動物も家畜になると、すっかり野生を忘れている。気になるのは、玉蜀黍ごしに見えるやせたネコ。ちょっとシュールで不思議な感じ。

 

森百甫は、ほっこり系。10月の地面に落ちている栗だけでも、しみじみと物語が膨らみ、情感わかされてしまう。鳥好きにもたまらない12ヶ月でしょう。6月のかわせみと水草、7月のカエルと白い蓮、8月の夕顔、12月の烏瓜を見るウソなどがとくに好きな作。線もとてもきれいだった。同じく葉を一枚描いても、会話が聞こえたり、こんなに物語になってしまうのは、他の画家とどこが違うんだろう?

 

望月春江は、にぎやかな十二ヶ月。さわがしい二羽のスズメは、口やかましい奥さんと、ん?と聞いているかいないかわからない旦那さんのよう。8月の川エビ、11月のどんぐりがいいなあ。

 

 

山口華楊は、とてもシンプル。構図は、縦、横、斜めと狙って、一枚一枚が印象的。4月の4本だけの青麦、7月のカワセミと3本だけの葦など、どれも無駄なものがなにもなく、しかもかわいらしい。そして厳選して描いたそれはとても緻密。鳥の毛、紫陽花の葉の葉脈など見入ってしまった。このシンプルな美しさ・かわいさを支えているのは、この緻密さなのかと。

 

堂本印象は、墨で現した光に驚き。一枚一枚の印象が強い。

 

福田平八郎は、色がぱっと印象に飛び込んでくる。トリミングされていて、ますます間近に感じてしまう。単純化された形も明度のある色もたのしい。

矢車草がきれいだなあ

茄子と玉蜀黍がすき・・

 

それにしても来るたびに違う十二ヶ月図が展示されている。約500タイトル、計6000枚の12ヶ月色紙が所蔵されているとか。

来年、1月12日からは「十二ヶ月図展」が始まる。