渡辺正峰『脳の意識 機械の意識ー脳神経科学の挑戦』、中公新書2460(2018)
の中で「意識の自然則」がある筈だと主張しています。
著者による意識の定義は、哲学者チャーマーズに倣ってクオリアと同義であるとしています。
著者がいう自然則は物理法則と全く同格なものであり、普遍的、客観的な意味のものです。
この主張は事実に反する不合理なものである理由を示します。
外部からの物理的刺激が感覚受容器に入り、その刺激が受容器のしきい値を超えると受容器からパルス列が出力されます。
このパルス列は、刺激物質に関する情報を感覚野に伝えます。
このときの情報は受容器の特性に完全に依存します。
その上、受容器の特性は個人個人で違います。
この事実は、受容器から出力されるパルス列が運ぶ情報には客観性がないことを示します。
更に言えば、感覚野の特性、クオリア、意識も個人個人で違うのです。
従って、著者が主張する「意識の自然則」はあり得ないのです。
著者は脳神経科学者と称しています。
脳科学に精通している筈の人が「意識の自然則がある」と主張するのは理解に苦しみます。
著者が哲学者チャーマーズの信奉者だからでしょうか。
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