情報と物質の科学哲学 情報と物質の関係から見える世界像

情報と物質の関係を分析し、心身問題、クオリア、時間の謎に迫ります。情報と物質の科学哲学を提唱。

小山を築く強き蟻たち(続4)

2024-08-06 14:57:44 | その他
久しぶりお気に入りの蟻の巣を見た。
何故か、蟻の数がずいぶん増えていた。

平地はまだそのままだった。
巣の近くに長さ2センチ、太さ2ミリ位のミミズの死骸。
蟻たちは10匹位集まって(多分)巣に運ぼうとしている様子。

しかし、この作業をする蟻たちの数や動きは協同作業ではない。
たまたま同じ方向にミミズが移動しても作業は止まる。
運ぶ蟻たちも頻繁に入れ替わりミミズが巣の方向に移動しても、次には違う方にいく。

指揮者がいないのでどうしようもない。
偶然に任せているのだ。
”下手な鉄砲、数打ちゃ当たる”でそのうち巣の中に引きずり込むのだろう。


クオリアの謎が解けない理由「言葉で表現できない現象を言葉で説明することは不可能」

2024-08-04 14:44:08 | 感覚(クオリア)
クオリアとは感覚質そのもののことです。
例えば、赤いリンゴを見たときに感じる”赤い”という自覚そのもののことです。
このクオリアを言葉で表現することはできません。

脳科学者たちは様々な手法で脳内の物質現象からクオリアが生じる理由を解明しようとしています。
しかし、脳内の物質現象がクオリアを引き起こす法則を確立することは以下の理由で不可能です。

(1)客観的な法則から主観的なクオリアを帰結することはできません。
異なるカテゴリー同士を法則で関係づけることはできないからです。
例えば、数概念と物質概念とを法則で関係づけることはできません。

(2)言葉で表現できないクオリアを言葉で表現された法則で説明することは論理的に不可能です。
もしこれができると仮定するとパラドックスが生じるからです。

脳科学者たちが解明できることは、例えば皮膚を針で刺すと脳回路のどの部分が反応して”痛い”というクオリアが生じるかという対応関係だけです。



クオリアは感覚受容器に入る光・音・分子に対する認識結果である

2024-08-03 14:45:08 | 感覚(クオリア)
クオリアは感覚器に入った刺激に対して感じる心理的印象のことです。
例えば、ある波長の光が目に入ったときの「赤」という質感自体です。
この質感自体を言葉で表現することはできません。

クオリアに対する研究は哲学、心理学、脳科学、物理学などで行われてきましたが、未だに最終的結論は得られていません。
(クオリアに関する記事がWikiにあります。)


今回は、「クオリアは感覚受容器に入る光・音・分子に対する認識結果である」という仮説を提唱します。

感覚受容器は、ヒト以外にも鳥、昆虫、魚などの動物にもあります。
これらの動物が生存していくためには、感覚受容器に入る刺激が何であるのかを認識することが必要不可欠です。
この事実を説明できるのが今回提唱する仮説です。

この仮説によれば鳥、昆虫、魚などの動物にもクオリアがあり、それによって生存しているのです。
クオリアは、ヒトだけのものではないのです!

今回提唱する仮説は非常に説得力を持つものと自負しています。
皆さんはどう思われますか?