亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

一年の間に

2007-10-18 13:35:08 | Weblog
遥か昔に子供が通っていた学校ではPTAの組織がしっかり出来上がっていて、総務部・教育部・厚生部など各部が文化祭や体育祭に大きくかかわり、学校に貢献していた。
子供が中学3年の時にPTAの役員になり、1年間かなり頻繁に学校へ通ったのがついこの間の事のようです。
その時、一緒の係りで団結した1年生から4年生(中高一貫教育のため高校1年生を4年生と言う)のメンバーが、任務が終えた後も1年に1度お食事会をするようになって20年以上続いている。
昨日、そのお食事会があって、久しぶりに顔を合わせ、みんなで集えたことを喜んでいたのだが、この1年、数えてみると365日、短いようで長い月日であることを実感した。
中の一人はご主人が海外で重責を担って昨年退官して帰国し、家も手を入れて、これからは夫婦でのんびり旅行をするのを楽しみにしていたところ、
帰国を待っていたかのようにお嫁さんが精神を患ってしまい、嫁さんと離れて息子と孫が同居することになり、孫の世話に追われる生活となってしまった。
今年の年賀状に「孫と野菜作りをしている」と書いてあったので、孫のいない私は羨ましく思っていたのだったが、思ってもいない苦労をしていたことをしって複雑な気持になりました。 
また、ある人は昨年はようやくうち孫に男の子が誕生した喜びで一杯でした。ところが実家に出産で戻ったお嫁さんがそのまま帰らず、遂に離婚することになってしまった。お孫さんは東京にいる父親の家に一度も来ることもなく父を失ってしまったのです。こんな小説でもないのに現実に起きているのを知ることとなりました。その話は、「Aさんの息子さん離婚されたのよね、実は・・・」という話から始まりました。このAさんは、代々医者の家系で周りはみな医者の家です。息子さん達は当然医者で娘さんも医者、いうことなしのお医者様の家ですが、息子さんは何故か離婚してそのお子さんは可愛い盛りでしたが奥さんが引き取ってしまったそうです。
「今日はいい話と言えばBさんがマンションを建てた話くらいねぇ」とは、Cさんと交わした会話でした。
Cさんは今年の5月、ご主人をガンで亡くされました。
皆と別れた後 夕食一緒に食べましょと付き合ったのです。
しみじみとご主人の経過をききました。
Cさんのご主人はZ医大に複数の診療を受けていたのに、3月に癌が見つかった時は末期で、5月までくらいしか余命がないと言われたそうです。
Cさんには息子さんが一人いて、病院からは息子さんに病気の説明があり、彼女は息子から仔細を聞いたそうです。
息子夫婦と相談して、最後まで病名は知らせないと決めて、病院に伝え医者や看護婦さんは徹底して最後まで知られないようにしてくれたそうです。
しかし、彼女は知られないようにするのにとても苦労したし、30歳半ばの息子の沈着冷静な対応になんども助けられたとか。
病院から帰る道々は放心状態で、コンビニで選ぶことなく決まったお弁当を買い、その品切れのときは無意識に隣のお弁当を手にしてレジに行くという具合。
何を食べたのか、どうやって帰ってきたのか、テレビのスウィッチをいれても上の空の毎日。
最後は息子さんとお嫁さんが会社を休み、それも「有給休暇が余って消化しなくちゃならないから」と、父親に気付かれないようにして、病室に泊まり看病に明け暮れたものの、出社しなくてはならなくなってきて、終いにお嫁さんのお父さんが手助けに来てくれるという話になったその日に息を引き取ったそうです。
家族4人が結束できとても良い時間を過ごすことができたと話してくれました。
今はいろいろと手続きに追われていて、一人になった寂しさを実感していないそうです。
明るい性格のCさんですから、1年も経てば乗り越えて前向きになれると思います。