亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

織姫になって

2008-07-13 09:27:14 | Weblog
この春倒れて入院していた長姉が7月7日 亡くなりました。
倒れて3か月 良く頑張ってくれました。
6月初めに姉の容態が安定していたので、心配はありましたがイギリスへ出かけてきましたが、その間に姉は口から食べられるようになったと聞いて喜んでいたのですが・・・・
6月の半ば過ぎに見舞うと、姉はナースセンターの隣の部屋に移されていて、浮腫みが酷くなって、厳しい状況に一変していました。
それから数日後 病院から次姉に血液を体の外に出して水分を除去する方法をとりたいがどうするかと、電話が入り、医者からは延命治療に繋がらないような話だったので私と相談して「OK」と答えたのです。
電話で承諾しただけでは済まなくて、家族の署名捺印が必要だというので、2日後次姉と二人で病院に行きました。
長姉の浮腫みはすっかり取れていました。
しかし意識レベルは格段に悪くなってしまっていました。
姉の顔や身体を丁寧に拭いてあげた後にナースセンターに行ったところ、出された用紙は、輸血の承諾書でした。医者から輸血の話は全く聞いていなかったので、看護婦の説明を聞いても納得がいかず、当日医者の話が聞けなかったので、出直して医者の話を聞くことになりました。
後日医者の話を聞く前に、姉を見舞うと、手のひら、足の裏、額が異常に赤くなってしまっていました。
意識レベルは悪いままです。
医者からは様々な話を聞き、姉の浮腫みをとる治療が「人工透析」であり、健康な人でも、透析することはかなりの身体的負担をかけている。
そのために意識がなくなったりすることを初めてわかりました。
医者は命を守ることが使命と考えていて、それが全てであるとの話でした。
私たち姉妹は 「医者に託している以上、医者の言うとおりにするしかないかも」と「輸血承諾書」にサインをしたのです。
しかし・・・帰りにいろいろ考えました。
この程 始めた人工透析は、長姉の今の容態から考えると延命治療になるのではないだろうか。
命はあるものの健康な人でも負担のかかる「人工透析」をすることでかえって苦しめているのではないだろうか。
翌朝の読売新聞の「長寿を支える」の欄を読んでますます、長姉を延命治療から救いたい気持ちが固まり、再び 病院に行き「これ以上「人工透析」は無しにしてほしい」と 婦長に納得していただき病院をあとにしました。
翌週、人工透析をしないでいる姉の容態を案じながら病院に行くと、姉は浮腫みがなく、返って水気がないシボシボ状態だったので看護婦に訊ねたら、今朝 人工透析をしたというではないですか。
「どのくらい透析しているの」と訊いたら「週3回です」と・・・・
話が違う・・・・病院に「医療相談室」があったので相談してみたところ、婦長とじっくりと話すことができて、婦長は私の気持ちを充分理解してくれたのです。
しかし、医者は一旦始めた治療をストップすることはできないと・・・・。
家に帰り主人と次姉に相談して、こちらの意思を纏めて7月5日に医者に送りましたが、医者は面談してからと一点張り。
延命治療は、治療との狭間で医者と患者の家族の考え方に違いがあるのを痛切に感じたのです。
仕方なく 医者と話すために7月8日に次姉と病院にいく約束をしました。
とにかく長姉を苦しめたくなかったので、楽に天寿を全うして欲しいと心から祈りに祈りました。
その翌日7月7日に 姉は 空の彼方に 先に飛び立った義兄のもとに。
折しも七夕の日。
子供がいない夫婦だったので 姉はさぞかし兄に会いたい思いで一杯だったこどだろう。
弔問して下さった近所の方から、生前 姉は「寂しい、寂しい」と言っていたと聞かされたのでした。
義兄が逝ってから4年 姉は 織姫になって最愛の彦星の夫の元へ旅立っていきました。
葬儀は無宗教で献花をしていただき、通夜では姉の好きだった「川の流れのように」「愛燦燦」を皆様に歌っていただきました。
姉の住む地域はご近所の繋がりが強くて、ご飯を差し入れてくれたり、葬儀には受付をしてくれ、遠くから来ている私たち姉妹を影で支えてくれました。


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2 コメント

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ロマンティックだね (娘。)
2008-07-13 10:02:55
おり姫になって・・ってロマンティックだね。

今度また 生まれ変わって さらに素敵な人生をおくってもらいたいですね。
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Unknown (nontyan)
2008-07-13 22:18:00
よく思い出して記録しましたね
呼んでいてまた涙が 止まらなく画面がぼやけてきちゃいます お姉ちゃんには二人の思いが充分に伝わったんだと思うよ 
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