亀の歩みで

急がず、慌てず、IT文化を楽しめたらいいと思っています。

同期会

2007-04-01 12:19:07 | Weblog
昨年の4月1日に中学の還暦祝いの同期会、そして昨日は一年遅れの還暦祝いの小学校の同期会がありました。私達の同期は2クラスで、私のクラス担任が亡くなれてから2クラス合同で持つようになりました。
卒業時の担任ではありませんが2年3年と担任だった先生は今年75才、お元気で、弁も立ち、肌も小じわがない美しい肌をしておられました。
70才で作られた自分史には、戦前から教師になり、その後教師を続けながら 妻として、母としての姿を綴られています。
戦時中や戦後の時代背景が見事に書かれていて、素晴らしい本です。
75歳でNo2を出したそうです。
今回、ひとりの秀才の生徒から、小学校での先生の秘話を聞きました。
彼は 東大から通産省に進んだ秀才。算数の授業中、先生が児童に教えている時、自信がないと、彼に「これで良い?」と、彼に目で確認をしていたそうです。
「間違ってない!」と、それとなく合図を送ると安心して先に進めていたとか。
「(^-^)ネ!、先生、そうですよね?」と彼。
先生は、こっくり頷いて認めて「彼はあまりに頭が良くて、怖かった・・・」と。
私達は彼が頭が良いことは知っていたけれど、先生が頼りにするほどとは思っていなかった。彼は6年生の途中で、親から「○○中学を受験」をするように言われ、難なく優秀な成績で入学。2年までは成績が悪く、教師からもっと実力があるはずだといわれ、ふとしたきっかけで数学を追求するようになり、中学生で大学受験数学を解けるようになり、「ピタゴラスの定理」と個人名が定理に付くような定理を見つけようと、明けても暮れても定理を求めて数学の毎日を送っていたそうです。

一方 先生からは、小学校当時問題児だった子ほど、記憶に残っていて、今でも心配する気持ちが続いていて、元気に暮らしているのが分かると安堵するのだそうです。

さて、女性人の中にはご主人を亡くされた人がいました。
一口に「2年前に亡くなりました」「昨年亡くなりました」となんでもないように話していましたが、亡くなるまでのことを聞くと、大変な日々であったし、一人になってからの精神的葛藤を乗り越えて今この場にいることなどを聞くと、
元気で飛び回っている主人に、不満は沢山あるものの、当たり前に会話ができ、偶には一緒に旅にも行かれる今の自分はいい時を過ごせていると思いました。

前出の秀才君の著作「高橋の数」を戴いたので、読み出しました。
生い立ちあたりはスイスイ読みましたが、本題の数学の話に入るとサラッとは読めなくなり、飛ばして最後の方の「私の脳」辺りから最後まで読み終えました。
後で真ん中を読もうと思っています。
ここまで読んだ感想:凄いことを考える能力のある人が身近にいた驚きと、彼は数学を学ぶことは「苦はなく「単なる追求」であり、「喜び」だった、とても尋常では考えられない「脳」の持ち主だった。
こんな優秀な人にふれて度肝を抜かれた私でしたが、平凡に できないことを悩んで、それでも できないまま卒業して、一社会人として生活できていければいいんじゃないかと感じました。
しかし、スポーツや芸術の世界などにいる多才な人たちは、弛みない努力を積み重ねて大成しているのですから、一社会人で良いという私の考えは、ただ怠惰ってことなのかも・・・・?
怠惰とか、屈辱的な自分をいろいろ考えてみても到底私にはできないことだ。
ちっぽけな範囲でちょっと頑張ったりするだけで良しとしよう。

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