JAL123便墜落事故-真相を追う-セミナー開催報告(091212)
----- 本記事は12月15日午後に加筆訂正されています-----
12月12日(土)、都内某所で開催されたB氏の月例セミナーにて、1時間半程度の時間枠をお借りして、JAL123便事故に関する最新の研究内容を報告いたしました。
報告内容の主な項目は以下の3点です。
(1) 羽田-静岡までの飛行ルートの分析
(2) S氏が現場で拾得した航空機材の公開
(3) 1998年の橋本-エリツィン会談と日航機事故の関連性について
(1)では、事故犠牲者の1人である小川哲さん(あるいは同氏のお嬢様)が撮られた写真、および事故調査報告書に掲載された、海上で回収された尾翼写真を厳密に解析することにより、事故調査報告書に記された飛行ルートがまったくのデッチアゲであることを証明、及び、垂直尾翼は御巣鷹の尾根より、偽装工作のためにわざわざ運搬されていた可能性が極めて高いことを解説しました。以上よりわかった事実を箇条書きにします。
・123便は、早くから要撃(航空機による追撃)の回避行動を行っている
・垂直尾翼は墜落直前まで失われていなかった
・垂直尾翼の操舵は墜落直前まで可能であった
・事故調発表の飛行ルートに準拠するボイスレコーダー(CVR)及び、
フライトレコーダー(CFR)は著しく改竄されている
(2)においては、事故現場付近に落ちていた以下の機材破片を、セミナー参加の皆様に、実際に手にとってご確認いただきました。
① UH-1Hの機体 フレーム破片 (米陸軍MP、または警視庁・警察庁)
② F-4EJファントム 機体破片 (航空自衛隊)
③ MIG-25 機体破片(旧ソ連)
④ F-117 機体破片(米空軍)
読者の皆さんにとっても驚きでしょうが、何を隠そう、一番驚いているのは、国際軍事を専門にしているB氏であり、私自身です。S氏の手によるこの驚異の発見により、以前より私たちが想定していた「米空軍説」についても、大幅な修正が余儀なくされました。
(3)橋本-エリツィン会談が行われた、伊豆半島東海岸の川奈(かわな)は、私たちの現場調査と資料分析の結果、JAL123便の実際の飛行ルート直下と判断した場所です。ここで(2)のMIG-25が交渉材料として使われたことは、状況証拠などから充分にその可能性が伺われ、北方領土の2島返還寸前まで交渉が進んだと言われる同会談の背景に日航機事故の真相が潜んでいることを明らかにしました。会談に臨んだ橋本龍太郎元首相は、1987年に公布された事故調査報告書の最高責任者(運輸大臣-当時)でもあります。
(2)の写真と解説については、下記をご覧ください。(1)飛行ルート分析と(3)川奈会談の背景については、別テーマとして当ブログで取り扱う予定です。何だか後回しの宿題がすっかり多くなってしまいましたね、ごめんなさい。
■公表資料の解説
写真1は同セミナーで公開した航空機材の破片(4点)です。各破片について、B氏による鑑定を基に、簡単な解説を加えます。
写真1:公開した破片
① UH-1H
その青い塗装から、米陸軍のMP(Military Police)所属のヘリコプターであると解説しましたが、同色の塗装は日本の警視庁、及び警察庁のヘリコプターにも施されています。事故現場に対して警察が調査用のヘリを出すのは極めて当たり前のことで(そうでないと困りますよね)、このフレームの機材は必ずしも米軍のものとは限定されません。事故現場、「招魂の碑」の近くにはかなり立派な警視庁による救難活動の碑も建立されており、何か深い意味を感じさせます。やはり戦乱に巻き込まれた、警察関係のものだったのでしょうか?
写真2:警視庁のUH-1H 写真は救助活動で活躍した警視庁の「おおとり」
② F-4EJ
アルミ合金と思われますが、ぶ厚くて重く、手にずっしりときます。この合金は、機体重量の重さに難が指摘されているF-4特有のものであり、リベット径から旧型であることも判定できます。また、かなり退色しているもののベージュ系の塗装跡が確認され、明らかに航空自衛隊の機材であると断定できます。
自衛隊機が落ちていたということは、この事故への自衛隊の関与に関して深い示唆を私たち与えます。仮に撃ち落されたとしたなら何故彼らは黙っているのか?また事故で墜落したとしても、それを沈黙したり、隠す必要はどこにあったのか?自衛隊を犯人扱いする諸説が溢れているのに、自衛隊のとっている行動は奇妙としか言いようがありません。
写真3:航空自衛隊のF-4EJ (Wikipediaより)
③ Mig-25
B氏によると、この機体の出現については想定範囲であったそうです。米軍・自衛隊による乱戦が発生しているような状況では、旧ソ連がハバロフスクから最速の偵察機(Mig-25R)を送り出し、現状視察を行うことは想像に難くないとのこと。それにしても、簡単に落とされていることに対しては、素直に驚きを覚えます。判定の決め手となったのは、破片がやや黄色味を帯びたニッケルを含んだ鋼材であったこと。耐熱用の鉄鋼であり、世界広しとはいえ、このように素朴な素材を戦闘機の機体に用いているのはMig-25以外に有り得ません。
ただし、B氏の偵察機説に対しては、私は若干異論があり、このMig-25こそが相模湾上空に現れた未確認航空機でないかと推察しています。そうだとすれば、航続距離の短い戦闘機タイプであり、ハバロフスクから飛来して作戦実行するのはかなり難しいことになります。しかし、当時、日本から最も近い東側の国はどこかと考えた時、私は「北朝鮮」がMigの発進に関与した可能性があることも考慮しておくべきだと思っています。角田四郎氏の著書「疑惑」では、日航職員が犠牲者の家族に向かって「北朝鮮のミサイルに撃ち落された」と語っていたことが紹介されていますが、薮から棒に「北朝鮮」の名前が出てくるのはかなり不自然であり、その時の日航職員が北朝鮮に関する何らかの情報を得ていたと考えるのが、最も自然なのではないでしょうか。
加えて、川奈会談の交渉材料がMig-25Rの日本国内墜落だけでは、北方領土の2島返還の決め手として強いとは思えず、やはりMig-25戦闘機が相模湾上空で123便に直接関与したからこそ、エリツィン元ロシア大統領に対して橋本元首相は強気で責められたのでないかと推察されます。もちろん、伊豆の川奈という地を、交渉場所に選んだ最大の理由も、おそらくそこにあったのでしょう。
写真4:旧ソ連軍の Mig-25 (Wikipediaより)
写真5:Mig-25で使用されている3重の燃料配管
「設計思想が西側戦闘機と根本的に異なる。Mig-25のものに間違いない」by B氏
④ F-117
この機材の出現は私たちを最も悩ませました。「気になる怪説(2)」でバッサリと切り捨てた手前、何とも切り出しにくいのですが、こうやって実物を見せ付けられると、観念して認めざるを得ません。S氏は以前から「F-19(F-117と同じ)が落ちている」と主張しておりましたが、「いくら何でもそんなことは有り得ない」と意に介してなかったのは私やB氏です。固定観念に囚われていたのは間違いなく私たちで、S氏にはこのブログを借りてお詫びの意を伝えたいと思います。
さて、特殊なステルス機材を採用しているため、本機の判定は極めて容易です。柔軟性のあるガラス繊維が翼面に採用されており、ハニカム構造で強度を高めた上にハニカム内に軽量金属を充填している。占める面積に比べて非常に軽く、航空機の機体素材として全く異質なものです。事故当時、その存在すら公表されていなかった米空軍の F-117 に間違いありません。
困ったのは、現在「そしてミサイルは発射された」シリーズで書きかけの「謎の黒い戦闘機」に続いて、F-117と、米空軍の戦闘機、それも当時最新鋭の機材が惜しみなく投入され、しかも落とされている(墜落かもしれませんが)その事実そのものについてです。このまま米軍、自衛隊の関与を考えているだけでは、全体の背景説明を行うことはたいへんに困難です。もはや旧ソ連(+北朝鮮)の積極的関与と、'事変'隠蔽のために動いた何らかの国内組織の存在を想定することは避けられないと私は考えます。そして、その組織とはおそらく「グリコ森永事件」、「松本サリン事件」など、日本の怪事件に大きく関与しているグループでしょう。思い返してみれば、これらの事件でよく噂される黒幕とは、「CIA」や「米軍」はもちろん、「北朝鮮」であり「ロシア」であり、そして「自衛隊」です。日航機事故の一件もこれら怪事件の系統につながるとは言えないでしょうか?
写真6:米空軍のステルス戦闘機 F-117 (Wikipediaより)
写真7:F-117の翼面素材(柔軟性のあるガラス繊維)、④の裏面
* * *
それほど深く考えずに付けたブログタイトル「(新)日本の黒い霧」ですが、日航機事故に関する「黒い霧」が、まさかこれほど深く暗いものだとは思いもしませんでした。最近になって、私の身辺でもたびたび黒い霧を見かけるようになりましたが、世の中を明るく照らす街灯はいったいどこに行けばあるのでしょうか。
ADHUC MULTA HABEO VOBIS DICERE SED NON POTESTIS PORTARE MODO
管理者
12月12日(土)、都内某所で開催されたB氏の月例セミナーにて、1時間半程度の時間枠をお借りして、JAL123便事故に関する最新の研究内容を報告いたしました。
報告内容の主な項目は以下の3点です。
(1) 羽田-静岡までの飛行ルートの分析
(2) S氏が現場で拾得した航空機材の公開
(3) 1998年の橋本-エリツィン会談と日航機事故の関連性について
(1)では、事故犠牲者の1人である小川哲さん(あるいは同氏のお嬢様)が撮られた写真、および事故調査報告書に掲載された、海上で回収された尾翼写真を厳密に解析することにより、事故調査報告書に記された飛行ルートがまったくのデッチアゲであることを証明、及び、垂直尾翼は御巣鷹の尾根より、偽装工作のためにわざわざ運搬されていた可能性が極めて高いことを解説しました。以上よりわかった事実を箇条書きにします。
・123便は、早くから要撃(航空機による追撃)の回避行動を行っている
・垂直尾翼は墜落直前まで失われていなかった
・垂直尾翼の操舵は墜落直前まで可能であった
・事故調発表の飛行ルートに準拠するボイスレコーダー(CVR)及び、
フライトレコーダー(CFR)は著しく改竄されている
(2)においては、事故現場付近に落ちていた以下の機材破片を、セミナー参加の皆様に、実際に手にとってご確認いただきました。
① UH-1Hの機体 フレーム破片 (米陸軍MP、または警視庁・警察庁)
② F-4EJファントム 機体破片 (航空自衛隊)
③ MIG-25 機体破片(旧ソ連)
④ F-117 機体破片(米空軍)
読者の皆さんにとっても驚きでしょうが、何を隠そう、一番驚いているのは、国際軍事を専門にしているB氏であり、私自身です。S氏の手によるこの驚異の発見により、以前より私たちが想定していた「米空軍説」についても、大幅な修正が余儀なくされました。
(3)橋本-エリツィン会談が行われた、伊豆半島東海岸の川奈(かわな)は、私たちの現場調査と資料分析の結果、JAL123便の実際の飛行ルート直下と判断した場所です。ここで(2)のMIG-25が交渉材料として使われたことは、状況証拠などから充分にその可能性が伺われ、北方領土の2島返還寸前まで交渉が進んだと言われる同会談の背景に日航機事故の真相が潜んでいることを明らかにしました。会談に臨んだ橋本龍太郎元首相は、1987年に公布された事故調査報告書の最高責任者(運輸大臣-当時)でもあります。
(2)の写真と解説については、下記をご覧ください。(1)飛行ルート分析と(3)川奈会談の背景については、別テーマとして当ブログで取り扱う予定です。何だか後回しの宿題がすっかり多くなってしまいましたね、ごめんなさい。
■公表資料の解説
写真1は同セミナーで公開した航空機材の破片(4点)です。各破片について、B氏による鑑定を基に、簡単な解説を加えます。
写真1:公開した破片
① UH-1H
その青い塗装から、米陸軍のMP(Military Police)所属のヘリコプターであると解説しましたが、同色の塗装は日本の警視庁、及び警察庁のヘリコプターにも施されています。事故現場に対して警察が調査用のヘリを出すのは極めて当たり前のことで(そうでないと困りますよね)、このフレームの機材は必ずしも米軍のものとは限定されません。事故現場、「招魂の碑」の近くにはかなり立派な警視庁による救難活動の碑も建立されており、何か深い意味を感じさせます。やはり戦乱に巻き込まれた、警察関係のものだったのでしょうか?
写真2:警視庁のUH-1H 写真は救助活動で活躍した警視庁の「おおとり」
② F-4EJ
アルミ合金と思われますが、ぶ厚くて重く、手にずっしりときます。この合金は、機体重量の重さに難が指摘されているF-4特有のものであり、リベット径から旧型であることも判定できます。また、かなり退色しているもののベージュ系の塗装跡が確認され、明らかに航空自衛隊の機材であると断定できます。
自衛隊機が落ちていたということは、この事故への自衛隊の関与に関して深い示唆を私たち与えます。仮に撃ち落されたとしたなら何故彼らは黙っているのか?また事故で墜落したとしても、それを沈黙したり、隠す必要はどこにあったのか?自衛隊を犯人扱いする諸説が溢れているのに、自衛隊のとっている行動は奇妙としか言いようがありません。
写真3:航空自衛隊のF-4EJ (Wikipediaより)
③ Mig-25
B氏によると、この機体の出現については想定範囲であったそうです。米軍・自衛隊による乱戦が発生しているような状況では、旧ソ連がハバロフスクから最速の偵察機(Mig-25R)を送り出し、現状視察を行うことは想像に難くないとのこと。それにしても、簡単に落とされていることに対しては、素直に驚きを覚えます。判定の決め手となったのは、破片がやや黄色味を帯びたニッケルを含んだ鋼材であったこと。耐熱用の鉄鋼であり、世界広しとはいえ、このように素朴な素材を戦闘機の機体に用いているのはMig-25以外に有り得ません。
ただし、B氏の偵察機説に対しては、私は若干異論があり、このMig-25こそが相模湾上空に現れた未確認航空機でないかと推察しています。そうだとすれば、航続距離の短い戦闘機タイプであり、ハバロフスクから飛来して作戦実行するのはかなり難しいことになります。しかし、当時、日本から最も近い東側の国はどこかと考えた時、私は「北朝鮮」がMigの発進に関与した可能性があることも考慮しておくべきだと思っています。角田四郎氏の著書「疑惑」では、日航職員が犠牲者の家族に向かって「北朝鮮のミサイルに撃ち落された」と語っていたことが紹介されていますが、薮から棒に「北朝鮮」の名前が出てくるのはかなり不自然であり、その時の日航職員が北朝鮮に関する何らかの情報を得ていたと考えるのが、最も自然なのではないでしょうか。
加えて、川奈会談の交渉材料がMig-25Rの日本国内墜落だけでは、北方領土の2島返還の決め手として強いとは思えず、やはりMig-25戦闘機が相模湾上空で123便に直接関与したからこそ、エリツィン元ロシア大統領に対して橋本元首相は強気で責められたのでないかと推察されます。もちろん、伊豆の川奈という地を、交渉場所に選んだ最大の理由も、おそらくそこにあったのでしょう。
写真4:旧ソ連軍の Mig-25 (Wikipediaより)
写真5:Mig-25で使用されている3重の燃料配管
「設計思想が西側戦闘機と根本的に異なる。Mig-25のものに間違いない」by B氏
④ F-117
この機材の出現は私たちを最も悩ませました。「気になる怪説(2)」でバッサリと切り捨てた手前、何とも切り出しにくいのですが、こうやって実物を見せ付けられると、観念して認めざるを得ません。S氏は以前から「F-19(F-117と同じ)が落ちている」と主張しておりましたが、「いくら何でもそんなことは有り得ない」と意に介してなかったのは私やB氏です。固定観念に囚われていたのは間違いなく私たちで、S氏にはこのブログを借りてお詫びの意を伝えたいと思います。
さて、特殊なステルス機材を採用しているため、本機の判定は極めて容易です。柔軟性のあるガラス繊維が翼面に採用されており、ハニカム構造で強度を高めた上にハニカム内に軽量金属を充填している。占める面積に比べて非常に軽く、航空機の機体素材として全く異質なものです。事故当時、その存在すら公表されていなかった米空軍の F-117 に間違いありません。
困ったのは、現在「そしてミサイルは発射された」シリーズで書きかけの「謎の黒い戦闘機」に続いて、F-117と、米空軍の戦闘機、それも当時最新鋭の機材が惜しみなく投入され、しかも落とされている(墜落かもしれませんが)その事実そのものについてです。このまま米軍、自衛隊の関与を考えているだけでは、全体の背景説明を行うことはたいへんに困難です。もはや旧ソ連(+北朝鮮)の積極的関与と、'事変'隠蔽のために動いた何らかの国内組織の存在を想定することは避けられないと私は考えます。そして、その組織とはおそらく「グリコ森永事件」、「松本サリン事件」など、日本の怪事件に大きく関与しているグループでしょう。思い返してみれば、これらの事件でよく噂される黒幕とは、「CIA」や「米軍」はもちろん、「北朝鮮」であり「ロシア」であり、そして「自衛隊」です。日航機事故の一件もこれら怪事件の系統につながるとは言えないでしょうか?
写真6:米空軍のステルス戦闘機 F-117 (Wikipediaより)
写真7:F-117の翼面素材(柔軟性のあるガラス繊維)、④の裏面
* * *
それほど深く考えずに付けたブログタイトル「(新)日本の黒い霧」ですが、日航機事故に関する「黒い霧」が、まさかこれほど深く暗いものだとは思いもしませんでした。最近になって、私の身辺でもたびたび黒い霧を見かけるようになりましたが、世の中を明るく照らす街灯はいったいどこに行けばあるのでしょうか。
ADHUC MULTA HABEO VOBIS DICERE SED NON POTESTIS PORTARE MODO
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