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JAL123便墜落事故-真相を追う-あれから30年、真実が語られる時

本日は平成27年8月12日。あの悲惨な日航機123便の墜落事件から30年もの長き時が経過しようとする日です。日本中が騒然となったあの日の鮮明な記憶は今でも忘れることができません。多くの犠牲者に対し、心からご冥福をお祈りいたします。また、大切な人々を失ったまま30年もの長き時間を過ごされてきた、多くの遺族・関係者にお悔やみ申し上げます。

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    本記事の最後に、読者の皆様へお願いがあります
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■真実はいつ語られるのか

早いもので、私が123便事件に疑問を抱いて7年、このブログを始めてから6年近い年月が経過しようとしています。

自分のブログを読み返すと、書き始めの当初は情報量の少なさ、そして事実認識の甘さから、誤っている部分が多いことに気がつきます。言い訳ではありませんが、このブログは調査の進展と共に進化前進しています。読者の皆様におかれましては、管理人である私が、何をきっかけに考えを改めるようになったのか、表現を変えるようになったのか、その変化、成長過程も含めご理解いただければ幸いです。

さて、このブログが主力テーマとして取り上げてきた123便事件の真実、すなわち「あの日、日航123便に何が起きたのか」についてですが、調査開始から7年、100%とは言えないまでも、その概要についてほぼ全体像を把握することができました。

ならば、早くそれを書けと皆様は思われるかもしれませんが、残念ながら、その真相はあまりに深く、とても一言、二言でお伝えすることはできません。123便事件の真相を理解するには、まず読者の皆様に理解に必要な予備知識、周辺知識をお備えいただく必要があります。現場調査を継続し、当局の激しい妨害を潜り抜けてきた私ですら、7年かかった事件です。メディア、ネット上の限られた情報しか持ち得ない読者の皆様にそれをお伝えするのはかなり難しいと感じています。

そして、何より難しいのが、123便事件の真相は読者の皆様(日本人一般を想定しています)と現在でも密接に関連しており、真実のいきなりの全公表は、皆様の社会通念を破壊するばかりでなく、皆様が置かれている社会的な利害関係を崩壊させる危険があるとも認識しています。

真実理解に必要な情報はこれまでにも本ブログで少しずつ紹介させていただいてきました。これからもこのスタイルは継続していきますが、この先ご紹介する内容は、更に皆様の想像を超えるものになっていきます。本ブログで、ある元公安警察の方が「寝た子(123便事件)を起こすな」と私に警告したことは前にお伝えしましたが、子は永遠に寝続けるものでなく、いつか起き出し、周囲の大人を悩ましめます。しかし、それは成長の喜びでもあります。私は、その子の目覚めが近いことを感じ取り、その準備を始めているだけなのかもしれません。


■事実関係の整理

最近になって123便事件に関心を持ってくださる若い読者もいらっしゃるようなので、既出のお話で申し訳ないのですが、123便事件を理解する上で重要なポイントを下記に列記します。なお、これらは私自身が仲間と共に現場検証し、証拠品の回収、証人にも直接お話を聴いた上で導いた結論です。根拠不明なネット言説や、書籍類の引用ではないことを強くお断りしておきます。詳しくは本ブログの過去の記事を参照してください。

1) ボイスレコーダー、フライトレコーダーは改竄されたものであり、参考とならない(※)
2) 圧力隔壁破壊による垂直尾翼の脱落は嘘。墜落直前で尾翼を目撃した人は複数
3) 墜落直後に生存者が多数いたとの目撃証言がある
4) 墜落現場で多数の米国・ソ連・自衛隊の戦闘機破片・ミサイル破片を採集
5) 墜落地点の西側、長野県の南相木村側で放射線値が高い

※当局作成のボイスレコーダーを聴いて同情の涙を流すのはいい加減に止めましょう。犠牲者の魂が求めているのは誤った同情でなく、真実の理解です。


写真1:墜落現場で発見・回収された軍機破片
    後に、F117ステルス攻撃機の翼部分と判明する


■日航機撃墜計画はあったのか?

現地調査の結果、墜落原因が事故などではなく撃墜によるものである可能性が高まれば、次に気になるのは撃墜の理由、そしてその計画の当事者が誰であるかとういう疑問です。当時の社会事情から照らし合わせれば、

・プラザ合意に向けた米国政府・米国企業の犯罪
・グリコ森永事件隠蔽を画策した、ヤクザ・団体など裏社会の犯罪
・トロンOSなど、日本製最先端技術を敵視した外国企業の犯罪

等々、もっともらしい理由はいくつも挙げられます。これについても以前の記事でお伝えしましたが、上記の全てが理由として成立すると見るのが妥当だと私は考えます。どういうことか?つまり、日航機撃墜計画が先にあり、その情報を入手できる特殊な団体・機関だけが、それぞれが抱える問題の処理にこの計画を利用したというものです。また、裏を返せば、撃墜計画自体もこれら諸団体の事情に対処するため、一発で大きな成果を得られる手法として考え出されたというものです。

この推論が成立するためには、これら裏社会を統括し、企業・政府に影響力のある組織の存在が必須となります。これまでの調査から、どうやらそのような組織体のあることがわかってきました。永年の読者ならもうお分かりのように、私はその組織をコードネーム「クロカモ」と呼んでいます。

この説を裏付けるかのように、日航機撃墜計画を事前に察知し、その阻止に動かれていた方の存在を最近になって知りました。残念なことに、その方は既に鬼籍に入られています。それも、123便事件が起こる直前、停電の夜に割腹自殺するという不可解な去られ方で。もちろん、私がその方のことを聞いたのは、そのお子様からなのですが、私が123便の調査をしているということで、次のような証言を頂きました。

(1)「そういえば、父はあの頃『日航はとんでもない』と繰り返し言ってました。日航本社での会議にも度々出席していたようです」
(2)「父は、死の際に血文字で『NE128』と書き残していました」
(3)「父の事があったので、123便墜落が起きた日時や、当時のことは忘れられません」

「日航はとんでもない」、もちろんこれだけでは日航機撃墜計画が存在した証明にはなりません。ここで、この方が123便事件発生の直前に自死されたこと、そして、血文字を書き残されたことに大きな意味が読み取れます。自死される方が果たして血文字などを残すでしょうか?停電というのも都合が良すぎます。常識で推し量ればそこで何が起きたか想像がつくかと思います。そして決定的だったのが「NE128」という記号の示す意味です。

この記号の解析には数日を要しましたが、何を意味しているかが判明した時、この方が日航機撃墜計画の阻止に動かれていたことが深く理解できました。嘘と暴力に満ちた123便事件の背景の中で、このように不正を許さず、命を懸けて正義を貫いた先人の存在を知ったことは、私にとっては大きな喜びであり、希望です。

さて、「NE128」をどう解釈したかについては、まだそれを理解するための情報を本ブログで提示できていないため、ここでは割愛いたします。しかし、情報が出揃った時には必ずその意味をお伝えすると読者の皆様にはお約束いたします。

最後に結論を、

 日航機撃墜計画は予め存在していたのです。

それが計画者の思惑通りに行ったか行かなかったかは別にして。


■自衛隊と123便事件

123便事件について調査をしていると、事実の正誤に関わらず、自衛隊の関与を示唆する言説に数多く出くわします。本ブログでも、海上自衛隊発射の標的機が衝突した説を否定し、また、M氏が早朝に墜落現場で遭遇したアーミーナイフを手にした集団は正規の自衛隊員でないとしてきました。

しかし、自衛隊は全く責を負わなくてよいと認めた訳でもありません。私は、この数年間、自衛隊という組織が自ら真実を語ることを待っていたつもりですが、事件後30年を迎えるこの年になっても、目立った動きはなさそうです。やりたくはなかったですが、彼らを断罪する立場を取らざるを得ません。私には、現役、退役双方の自衛隊員の知り合いがおり、彼らの個人的人格を責めるつもりは毛頭ないことは、先にお伝えしておきますが、自衛隊という非常に問題のある組織に所属している、あるいは所属していたという事実については深く考えて頂きたいと願っています。


問題の写真を下記に掲載します。この写真は調査仲間のS氏を経由して、当時の週刊誌カメラマンから提供されたものです。写真を受け取った時、このカメラマンは肺がんを患っていると聞きましたが、その後お元気にされているでしょうか?生存者の現場目撃者であるM氏も10年後に肺がんを患っているので、その関連が気になります。もっと有体に言えば、墜落当時の現場は、ひどく放射能汚染されていたと考えられるからです。

本日は事件から30年の記念の日ということもあり、この写真は追及ではく問題提起という形で掲載するに留めたいと思います。当時現場に向かった陸上自衛隊の皆さん、あなた方が現場でいったい何をしていたのか、この写真を見て自分のした事をよく思い出してください。もう逃げられませんよ。


写真2:1985年8月13日、墜落現場でのあなた方 Bacillus Anthracis
    コウイチオカエリナサイ マッテイル トモダチダカラ

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読者の皆様へ

冒頭でも書きましたが、本日は日航機123便が御巣鷹の尾根に墜落し、多数の乗客乗員がお亡くなりになった日です。また、この事件に巻き込まれて、軍関係者を中心に多くの命が失われました。その数は総勢1000人前後と推定されます。

墜落推定時刻は18時56分。皆様にお願いしたいのは、僅かでよいので、この時刻にお心を御巣鷹の尾根に向けて頂きたいのです。事件の複雑な背景は必要ありません、ただひたすら、魂の平安と安らぎだけを祈って。

どうぞ、よろしくお願い申し上げます。


SI NON VENISSEM ET LOCUTUS FUISSEM EIS PECCATUM NON HABERENT NUNC AUTEM EXCUSATIONEM NON HABENT DE PECCATO SUO
わたしが来て彼らに話さなかったなら、彼らに罪はなかったであろう。だが、今は、彼らは自分の罪について弁解の余地がない。
(ヨハネの福音書 第15章22節)


遠つ御親の始りの地より
管理人 日月土
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