長崎で見たかったのが古い教会です。
まず
浦上天主堂
坂道の上にあったので、上手に写真が撮れませんでした。大きい~
この教会は残念ながら世界遺産ではありません。 1959年(昭和34年)再建されたものだからです。
最初の浦上天主堂が建設されたのは、1914年(大正3年)ですが、ご存じのとおり原爆投下によって外壁の一部を残して破壊されました。
その後、建てられたのが今日に残る比較的新しい会堂です。
最初の会堂完成の翌年に15人の潜伏キリシタンが会堂を訪ねて、世界宗教史における奇跡「信徒発見」が起こりました。禁止令から約250年あまり後のことです。(資料より)
わたしが行った時は、信徒さんのお葬式が行われていました。観光名所としてではなく、今も教会として機能してたくさんの信徒さんによって守られているのだと感じました。
少しだけ中を見せてもらったのですが、ステンドグラスからの光がきれいでした。
中の様子は、お届けできませんが、正面玄関の脇にこんな像がありました。
因みに原爆投下以前の教会堂はこちら。
さらに豪華ですね。東洋一だったそうです。
もう一つは、ご存じ
大浦天主堂です。
1845年から着工、20年の歳月を費やし1865年にできあがりました。
天主堂内部は本格的なリブ・ヴォールト天井で、わが国最初期の洋風建築として、1933年に国宝に指定、戦後1953年に再指定されました。フューレ神父とプティジャン神父が設計をし、日本人大工によって建設されました。
日本に現存するキリスト教建築物としては最古のもので、正式名は
日本二十六聖殉教者天主堂。その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂で、殉教地である長崎市西坂に向けて建てられています。
1953年(昭和28年)国宝に指定された。2018年(平成30年)に
ユネスコの世界遺産(文化遺産)登録が決まった「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」を構成する文化財の1つになりました。(資料より)
日本二十六聖人記念館
小さい子が三人います。
豊臣秀吉がバテレン追放令を出し、長崎と浦上を没収します。宣教師は追放され、教会は破壊されていきました。1596年には京都で捕らえられた宣教師や日本人信徒26人が長崎まで送られ、西坂の丘で十字架にかけられるという事件が起こりました。
この26人の中にはルドビコ茨木というまだ12歳の少年がいました。処刑を前にした幼い彼を助けようと思った役人が「ここで信仰を捨てなさい。命は助けるから。」と説得します。しかしルドビコ茨木は信仰を捨てると天国に行けなくなるとこれを拒みます。それどころか「わたしの十字架はどれ?」と小さな自分の背丈にあわせて用意されていた十字架のもとに走り寄り、「パライソ(天国)、イエス、マリア」といって喜びを表現したと伝えられています。彼らは四千人あまりの群衆が見守る中、両脇を槍で刺し突かれて殉教しました。(資料より)
これらのことは、歴史の教科書で習いました。でもその後どうなったかは習いませんでした。実は、この処刑の後、キリシタンが増えたそうです。それでキリシタンへの迫害がさらに強くなり、加えてたくさんの寺院が建てられたそうです。
以前は、遠い昔の無関係な話でしたが、今は親しみを持って聞ける信仰の話です。