徒然なるまままに

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ガレオン船が運んだ友好の夢

2010-02-06 | 歴史
日本メキシコ交流400周年記念特別展「ガレオン船が運んだ友好の夢」@たばこと塩の美術館

 日本メキシコ交流400年を記念した史料が展示されている。
 面白かったのは、400年前のいきさつ。1609年に、前フィリピン臨時総督ロドリゴ・デ・ビベロが房総半島沖で遭難した事件のが始まりだということ。背景は、スペイン領のフィリピンーメキシコ航路があったということ。しかし遭難をきっかけにして、家康とロドリゴとの間で日本とスペインそしてヌエバ・エスパーニャとの外交・通商関係樹立に向けての協定案が協議され、三浦案針の助けもあり、ロドリゴは帰国。ヌエバ・エスパーニャ副王からの答礼使節セバスティアン・ビスカイノが1611年6月10日来日した。このときに家康に土産として渡されたのが、久能山東照宮博物館蔵の洋時計(重要文化財)(ハンス・デ・エバロ作 1581年 スペイン、マドリード製 徳川家康所用)ということ。(初じめて拝見。)ところがビスカイノは、オランダ(オランダがスペインから独立のために戦っていた時代だが)との交易をやめろとか、日本の近海を測量とかを行い、幕府を不審がらせる。結局、伊達政宗により支倉六右衛門常長を大使とする使節一行が、ビスカイノを送り届けるという目的もあり、ヌエバ・エスパーニャにいくことになったようだ。だれが建立したのかアカプルコにある支倉常長の像の写真も展示されていた。裏面史的だが1599年ヌエバ・エスパーニャに連れてこられた日本人の奴隷が主人が亡くなったので開放してほしいとの嘆願書のコピーもあった。秀吉のバテレン追放令にある「大唐、南蛮、高麗{こうらい}江 日本仁を売遣候事曲事。付、日本ニおゐて人の売買停止の事。」『御朱印師職古格』(天正十五年六月十八日)(この条文にはいろいろ解釈があるようだが。)があるというのを思い出した。
 日本は、別に鎖国したかったのではなく、管理貿易がしたかっただけのようだ。侵略的なスペインと一体となったカトリックは排除されたということのようだ。

 1874年(明治7)には、金星の太陽面通過を観測するためにメキシコから観測隊が来日(野毛山に碑があるとのこと)。1888年に締結された「日墨修好通商航海条約」は平等条約だったことなど、いろいろ面白い史実の知識を得られた。

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