#28 近代洋画の開拓者 高橋由一 @東京芸術大学大学美術館
会期末間近になり訪問。
由一は、色のない写真よりも油絵のほうが鮮やかで長持ちする、という実用的な主張に基づいて絵を描いていた。このため、肖像画、風景画、静物画、はたまた三島県令土木改修画貼などを描いていた。
《鮭》3点:山形美術館寄託の《鮭》は由一が明治20年(1887)の東北旅行のおりに滞在した山形県楯岡の旅館に伝来したもの。笠間日動美術館の鮭は、板の木目を生かして描いており、木目は描いたのか本物か目を凝らしてしまった。
《花魁(おいらん)》は、モデルの小稲が泣いて怒ったという。簪の質感へのこだわりは確かにすごい。
《鮭》をはじめとする静物画のリアリズムは、16世紀のオランダの静物画を見ているような気分になった。
《山形市街図》;しゃれた街並みの山形に吃驚。また《三島県令土木改修画貼》の工事の様子は、明治の工事の一端が窺えて面白かった。
#29 芸大コレクション 春の名品展
浄瑠璃寺吉祥天厨子絵 広目天像、持国天像、多聞天像、増長天像 1212年 板絵彩色;
今回修復されたとのことで展示。素晴らしかった。前期に弁才天および四眷属像 、梵天・帝釈天像 が展示されていたようで次の機会を待ちたい。
「林温氏の優れた研究(林温「旧浄瑠璃寺吉祥天厨子絵諸尊をめぐる問題」『佛教芸術』一六九号)によると、この浄瑠璃寺厨子絵は奈良朝の伝統を保持しながら、宋代絵画の影響を受けた新旧二つの要素を巧みに調和させた作例である」とのこと(http://www.kaijyusenji.jp/gd/kiko/sentence/k23.html)
川崎小虎 オフィリア 1929、余りにモダンな画題に吃驚。小堀鞆音の弟子というイメージとかけ離れていた。平成18年(2006)年に明治神宮で開催された「小堀鞆音と近代日本画の系譜」を読み返してみれば、岡部昌幸氏が、「小虎は、日本画の伝統を打ち破り、日本画の題材を西洋の詩情と造形感覚から革新した。16歳より鞆音門下となり、鞆音没後、平福百穂が受け継いだ東京美術学校の教授職をさらに受け継いだのが小虎であった。その系譜は、さらに門下生、魁夷までつながるのである。そうした革新性、現代性を引き出す、真の教育を鞆音の系譜に認めることができる」と書いていた。
(6月16日)