オランジュリー美術館
http://www.musee-orangerie.fr/
2000 年 1 月以来の工事を完了し、2006年5月にリニューアルオープンしたオランジュリー美術館にようやく行ってきました。一度訪れたことはあるはずなので二度目。
個人見学は、12:30から19:00(金曜日は21:00まで)
この午後しかオープンしていないというのが予定の立てづらいところ。何度か2006年5月以降もパリを訪れているのですが、前回は午後一番でセキュリティのため行列。飛行機の時間に間に合わないと諦めました。今回ようやくの訪問です。
クロード・モネClaude Monetの絶筆「睡蓮」the Nymphéas
一階の二つのオーバルルームに展示されています。
第一室は、Matin 朝, Les Nuages 雲, Reflets verts 緑の反映, Soleil couchant 夕日。朝と夜の移り変わりをあらわしています。Soleil couchantは、大山崎山荘美術館の睡蓮と同じような色合いの赤の強い睡蓮。
第二室は、Reflets d’arbres 水のエチュードー木々の反映, Le Matin clair aux saules 水のエチュードー朝の柳, Le Matin aux saules 朝, Les Deux saules 水のエチュードー2本の柳。柳が映る微妙な水面がテーマでしょうか。
今回の建築家Camille Lefèvreが当時のアール・デコ調から隔絶するために、真っ白な壁が背景。
図録によれば、「1918年の第一次世界大戦終結後ほどなく、モネは、旧友で当時首相であったクレマンソー George Clemenceauに睡蓮をテーマにしたパネル二枚をフランス国家寄贈することを申し出る。長い交渉の末、チュイルリー公園のオランジェリーの2室を画家の希望に沿って円形に整備し、そこに《睡蓮》を展示することに決まる。モネはしかし視力と同時に身体も衰えてきており、約束したことの大きさを認識していなかった。またこの時期に、伴侶、長男ジャン、親しい友人たちが次々他界していく。だが、クレマンソーに励まされ、画家は1923年に白内障の手術を受けて、「本当の視力」を再び手にして、ついに制作を開始し、1926年4月完成させる。作品はモネの死後まもなく設置され、1927年5月17日に開館となった。」
さて、ここまではNHKで映像も見ていましたし、予想どおり印象でした。
地下の展示室は、
ヴァルテール=ギヨームのコレクションJean Walter and Paul Guillaume Collection
このようにいわれてしまうとピンとこなかったのですが、図録によると「画商ポール・ギョーム(1891-1934)と建築家兼実業家ジャン・ヴァルテールに由来している。前者は1934年に後者は1957年に亡くなった。二人の共通点はジュリエット・ラカーズ、通称「ドメニカ」を妻にしたことで彼女は当コレクションの相続人である。ポール・ギョームは自動車整備場に勤めていたが、貨物のゴムの中にアフリカ彫刻をみつけ、これをショーウィンドーに陳列した。この彫刻に目を留めたのは、詩人アポリネール。また詩人マックス・ジャコブの照会で、ピカソ、ピカビア、キリコ、ローランサン、モディリアーニに知遇を得て、1914年には小さな画廊をオープン、アポリネールが擁護する前衛アーティストたちに発表の場を得る。第一次世界大戦終結後は、敏腕の妻ドメニカに助けられ、政界、文化界、社交界の名士と懇意にしていく。ポール・ギョームはそのセンスの良さと精力的な活躍により、新領域開拓に秀でた通暁した画商として地位を確立するだけでなく、真の「文化の立役者」となる。コレクションはヨーロッパ屈指のコレクションに発展する。ポール・ギョームは死の直前に、これをルーブル美術館に寄贈することを考える。その後、ジャン・ヴァルテールと再婚した妻ドメニカは、前衛作品を処分し、代わりに高額で入手した作品を加えてコレクションを「賢明なもの」にし、ルーブルに場所がなかったため、当時ルーブルの別館であったオランジュリー美術館に寄贈することを決める。コレクションがオランジュリー美術館に収蔵されたのは、ドメニカの他界後の1977年、1984年から公開されている。」とこと。
展示は、セザンヌ、ルノワール、ピカソ、ルソー、マチス、ドラン、モジリアニ、スーチン、ユトリロ、ローランサンなどの作品から構成されています。という記述はピンときていなかったのですが、実際は、以下にリストするようにセザンヌ、ルノワール、ピカソ、ルソー、マチス、ドラン、モジリアニ、スーチン、ユトリロ、ローランサンのコレクションです。メモも写真も撮らなかったのですが、たぶん図録に掲載されている作品はすべて展示されていました。以下にリストするのは図録に掲載されている作品。
さて、ルノワールとセンザヌの回廊には吃驚。ずらっとルノワールが並んでいます。
ピエール=オーギュスト=ルノワール
ルノワール 長い髪の浴女 1895-96
ルノワール 横たわる裸婦(ガブリエル)1906-1907
ルノワール 風景の中の裸婦 1883
ルノワール 脚を拭う浴女 1914c.
ルノワール ピアノを弾く少女達 1892
ルノワール 二人の少女の肖像 1890-92
ルノワール ピエロ姿のクロード・ルノワール 1909
ルノワール 遊ぶクロード・ルノワール 1905
ルノワール ガブリエルとジャン 1895-96
ルノワール 帽子の女 1915-19頃
ルノワール 肘をつく女 1917-19頃
ルノワール 庭のガブリエル 1905頃
が図録に収録されていますが、この倍以上の作品が展示されていたと思います。「ピアノを弾く少女達」はオルセーにある作品とほぼ同構図の作品。いずれにせよ、これだけ幸せそうな女性や子供たちが並ぶと、やはり幸せな気持ちになります。
ポール・セザンヌ
セザンヌ セザンヌ夫人 1890
セザンヌ 画家の息子 1881-82
セザンヌ 果物、ナプキン、牛乳入れ 1880-81
セザンヌ わら飾りのある壷、砂糖壷、リンゴ 1890-93
セザンヌ リンゴとビスケット 1879-80
セザンヌ 樹木と家 1885-86
セザンヌ シャトー・ノワール公園で 1898-1900
セザンヌ 赤い岩 1895頃
セザンヌ 水浴する男たちと小舟 1890
セザンヌ 草上の昼食 1876-77
「水浴する男たちと小舟」は2から3作品分の横幅のある横長の画面の作品。ある意味屏風のような構図。小舟を中央に右と左の岸に水浴する男たちが描かれています。特異な構図が、Great Batherの記憶をよみがえらせます。
さてここからが、画商ギョーム氏の本領のコレクションでしょうか?
モディリアーニ、ルソー、ローランサン
アメデオ・モディリアーニ
モディリアーニ 若い奉公人 1918-19;画風からいうと地中海滞在中の作品か?
モディリアーニ ビロードのリボンをつけた婦人 1915
モディリアーニ ポール・ギョーム、ノーヴォ・ピロータ 1915
モディリアーニと契約した画商の一人がポール・ギョーム。もうひとりが、ズボロウスキー。「もともとモディリアーニのほとんど作品にサインのはいっていなかった。彼の画商ギョームとズボロウスキーの同意のもと、サインの模写の専門家が後から作品に記入した。」という記述がART BOOKモディリアーニ(昭文社)にあった。
アンリ=ジュリアン・フェリックス・ルソー
ルソー ジェニエ爺さんの馬車 1908
ルソー アルフォルヴィルの椅子工場 1897? 1906-08?
ルソー 嵐の中の船 1899
ルソー 婚礼 1905
ルソーを最初に賞賛したのはアルフレッド・ジャリやギヨーム・アポリネールをはじめとする何人の作家だったという。ポール・ギョームのコレクションにルソーがあるのは当然なのだろう。「嵐の中の船」は写生とは思えないので想像で描いたのか、写真をベースにでも描いたのか?
マリー・ローランサン
ローランサン マダモワゼル・シャネルの肖像 1923
ローランサン スペインの踊り子たち 1920-21
ローランサン ポール・ギョーム婦人の肖像 1924
ローランサン 牝鹿 1923
ローランサン 犬を抱く女 1923
ローランサンの絶頂期の作品ばかりならぶ。「私はすべてのいろが好きではない。ならば好きでない色は使わなくてもいいではないか、そう考えてそれを除外することにした。以来、青、バラ色、緑、白、黒しか使わなかった。年をとってからは黄色と赤も良しとした。」ということだが、すでに「 犬を抱く女」では黄色が使われていた。
パブロ・ピカソ
ピカソ 抱擁 1903
ピカソ 赤い背景の裸婦 1906
ピカソ 青年たち 1906
ピカソ 布をかけた大きな裸婦 1920-21
ピカソ 大きな浴女 1921
ピカソ 泉のそばの女たち
ピカソ 白い帽子の女 1921
ピカソ 大きな静物 1917-18
ピカソ タンバリンを持つ女 1925
「赤い背景の裸婦」「青年たち」はRose Eraの作品。特に前者のアフリカチックなまなざしは印象的。
アンリ・マティス
マティス 布をかけ横たわる女 1923-24
マティス 三姉妹 1916-17
マティス ヴァイオリンを持つ女 1921-23
マティス 灰色のキュロットのオダリスク 1927
マティス 赤いキュロットのオダリスク 1924-25
マティス 若い娘と花瓶 1921
マティス 女性の部屋 1921
マティス 青いオダリスク aka 白人の奴隷 1921-23
マティス ソファーの女たち aka 長い椅子 1921
収集した時期もよかったのだろうが、1920年代のオダリスクのシリーズがずらっと並ぶさまは壮観です。
アンドレ・ドラン(1880-1954)
ドラン 台所のテーブル 1925
ドラン アルルカンとピエロ 1924
ドラン マンドリンを弾く黒人 1930
ドラン 座るが画家の姪 1931c
ドラン ブロンドのモデル 1924
ドラン 美しきモデル 1923
ドラン 大きな帽子をかぶったポール・ギョーム夫人の肖像 1928-29
ドラン 画家の姪 1931c
アンドレ・ドランは、この展示をみてますます混乱。古典的な表現。初期のマネのようなスペイン風の人物を描いた「アルルカンとピエロ」や「マンドリンを弾く黒人」が印象的だった。
モーリス・ユトリロ
ユトリロ ノートルダム 1910
ユトリロ ベルリオーズの家 1914
ユトリロ パンソンの丘 1905-07
ユトリロ 国旗を掲げた役場 1924
ユトリロ メゾン・ベルノ 1924
パリでまとまってユトリロを見たのは初めて。
シャイム・スーティン(1893-1943)リトアニア出身のフランス人
スーティン 傾いた木 1923-24
スーティン 若いイギリス女性 1934
スーティン フロアボーイ 1927
スーティン グラジオラス 1919
スーティン 花婿の付添い人 1924-25
スーティンをまとまって見たのははじめて。ゆがんだ人物が不安を表しているのだろうが、あまりにも屈曲している。
実はこのコレクション1998年に来日していたようです。たとえば、こちらやこちら。
(7日)