山の師匠であり命の恩人でもある大貫金吾先生が逝去された。
先生は私が入部した高校山岳部で部長を勤められていた
現役時代はもちろんの事、卒業して私が大学に入った後も
何度となく、先生と一緒に山に登った
先生はいつも水曜日頃に
「三原、今週末は何か用があるか?
○○山に登ろうと思うのだが...」
と電話をしてくる
私はいつも
「いえ、何もありません。 宜しくお願いします」
それ以外の返答をした覚えはない。
後に先生に「何故あの頃毎週のように山へお誘いしていただいたのか?」
っと尋ねた
「現役の山行にOBとして付添うにはもう少し山の実力があった方が良いと思って」
これで私はありがたいチャンスを沢山頂いた。
谷川岳に行ったのはちょうど今頃の季節だったと思う。
「今回は岩をやろう!」
「先生、私 本格的な岩登り やった事ないですよ」
「大丈夫だ 一ノ倉沢の南稜なら入門コースだ!」
その頃の私はまだ高所恐怖症ではなかった
(今は東京タワーの展望台からでさえ下を見るは嫌だ)
まだ、取り付き手前、
たぶん「テールリッジ」?
「こんな所で普通はまだザイル出さないんだけど、落ちたら大変だからなあ~」
っと先生
確かに壁ではないし、滑りそうだが普通に登れない事はなさそうではあるが
先生とアンザイレン
直後
私は滑落
あの、一言がなければ....
その後も大変だった
南稜に取り付くも
前日降った雪が解け 滝のように上から降って来る
あまり酷いところは避けて登っていったら
先生が
「うん、こりゃルート違ってるなあ~」
ルートを間違えたようだ....
何度も登った事がある先生はそのまま強引にルート開拓
しかし、私は一度もトライした事がない
オーバーハングやアブミの使用に
かなり手こずり
ようやく稜線に出た頃には
すでに日が沈みかけていた
ここからはヘッドライトを点け 縦走路を
足元さえちゃんと見ていたら難なく降りれる
駐車場に付いた時にはの夜の12時を過ぎていた
もう、危険箇所はどこにもないはず
いや
ここからが危険の本番だった
続く