「流連」:遊里などで幾日もの間泊まりつづけて遊ぶこと らしい
その他の説明はあまりいらないであろう
この話、実話である
祖父(初代)の父親は真面目な人で連れ合いを亡くしてから
「そろそろ、いいだろう」と
たまにはお茶屋に出向くようになった
ある晩、馴染みのお茶屋で静かに飲んでいると
2階から大勢の芸子を引き連れ降りてくるお客がいたそうだ
「やれやれ、なにやら豪快にお遊びなさる方だな~」っと
何気なくその客の顔を見たら
なんと自分の息子であった
それから曾祖父はぴたっとお茶屋通いを止めたそうである.....
これも教えの一つであるに違いない
是非とも修行を積みたいところである