私の父(当社の二代目)が初代(祖父)から聞き及んだ
”商い”に関する語録集 今回で99個目
「すまじきものは 宮仕え」
:人に仕え、人に使われる立場は、できればしないに越したことはない
何故、この言葉を持ち出したのだろう?
上司にガミガミ言われるから宮使いは嫌だ!
っと言う単純な事でもないような気がする。
もしかすると歌舞伎の「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅ てならいかがみ)」の四段目
「寺子屋」に出てくるセリフ「せまじきものは宮使えじゃなあ」
からのインスピレーション?
(そこまで考えていないかもしれないけど......)
早速、歌舞伎のお話を大まかだけど調べてみた
「菅原伝授手習鑑」
”菅原道真”(のちに学問の神様って言われる人)と
”道真”の敵である”藤原時平”
(後に”道真”を追放し政権を握るが39歳で死去。”道真”の怨霊による祟りとも言われている)
この二人にそれぞれ分かれて仕える三つ子(”梅王丸”・”松王丸”・”桜丸”)の物語
四段目「寺子屋之場」
”道真公”に恩を受けた”梅王”・”松王”・”桜丸”の三つ子の兄弟
現在、”松王”だけ敵方の藤原時平の元で働いている
”道眞”から書道の極意を伝授され、
今は寺子屋をいとなむ”源蔵”は
”道眞”の息子、”秀才”をかくまっている
そのことが敵方に知られ
”秀才”の首を討てと迫られる
以前の主君に忠義がある”源蔵”
その息子を殺す事が出来ずに悩み
とうとう寺子屋の子供のひとりを代わりに殺して差し出す
という恐ろしいことを考える
しかし、自分の寺子屋には”秀才”のような品格のある子はいない
そんな子では首実検をする”松王丸”にバレてしまう
ところが、その日寺子屋にもどると、
いかにも品格のある男の子が新たに入学してきたことを知り....
”源蔵”は、今日 入ったばかりの子を、いかに”秀才”の身替りとはいえ
命を奪わなければならぬとは…
「せまじきものは宮仕え」
とセリフをはき 涙に暮れる.....
この後、実は殺されたこの日入学した子供は....
とかいろいろな複雑なお話しが続くのですが
(ご興味のある方はご自身でお調べください)
さて、この歌舞伎の一話が今日の「二代目の格言」の
元であるならば
「すまじきものは宮仕え」は
単に、上司にガミガミ言われてまで尽くさなければならないなんて
ではなく、
見ず知らずの他人を犠牲にしてまでも
主家・主君への忠義を果たさなければならないなんて....
位に大層な事である
では、いったい何を伝えたかったのか?
今日現在の私の答え
結局「宮仕え」の道を選ぶか?
それとも
「すまじき」という心の声に耳を傾けるのか?
その選択肢は人それぞれにある.....
その内なる声に耳をちゃんと傾けよ!
って事でしょうか?
考えすぎかな?!