二代目の格言101

2019-08-28 07:28:26 | 二代目の格言

私の父(当社の二代目)が初代(祖父)から聞き及んだ
”商い”に関する語録集 今回で101個目

ボトムアップ:下からの意見を吸い上げて組織全体をまとめて行く方法

実際、上記の社長さんは下からの意見はどれも却下しています。
唯一、賛同したのは
「やっぱり社長のアイデアが一番です」だけ!

その意見だけ吸い上げて、「それならやってみろ!」とGOをかける

しかし、「社長のアイデアが一番」として下から来た意見なので
”失敗は社員の責任”
まるで植木等さんの「昭和の無責任男」を彷彿とさせるような.....

っとこんな感じの読みで宜しいのでしょうか?

 

自分のアイデアだけど
あたかも相手が言った(思いついた)ようにして先へ進める

 

 

「これか!」

「これで良いのか!」

 

開眼!!

 

って、開眼で良いのか?!

 

要検討事項にしておこう!!



 


二代目の格言100

2019-08-21 07:22:17 | 二代目の格言

私の父(当社の二代目)が初代(祖父)から聞き及んだ
”商い”に関する語録集 今回で100個目

 

元は『辛抱する木に金がなる』であるようです

何辛抱強くこつこつと努力すれば、やがて成功して財産もできるという意味ではあるが

さて、ここで父は何を言いたかったのか?

 

たんに、あまりにもうるさくガミガミ言う先代に嫌気がさして
書いた言葉ではないはず!
(初代は言いたい事があれば夜中の2時3時でもいきなり電話をして来る
と聞き及んでいるので.....)

「黒電話」の画像検索結果

たぶん違うはず!

 

きっと、本当に言いたかったのは.....

 

伝えたかった事は...

 


自分も相手も同じ生身の人間
その前提に立つと
一方的に言いたい放題言われれば 腹は立つ

しかし、自分は「会長の痰壺」である
っと割り切ってしまえば
「そりゃ、しょうがない」っと諦めが付く

これ「発想の転換」かな?


「よう飽きないもんや と感心する...」
”感心する”と相手を敬う事で
言われっぱなしでネガティブだった感情は
一時的でもポジティブな感じに変わるかも!?

まあ「心持の転換」でしょうか?

 


「黙って聞くのが儂の勤め....こればかりは誰にも出来ない」

何故、私ばかりが責め立てられるのか?
そう考えると 受け身になるが
「これは私しか出来ない仕事である」
と使命感を感じれば能動的になれる

「立ち位置の転嫁」とでも言えば良いのでしょうか?

 

発想、心持、立ち位置
すべて替えて考えられる
心の柔軟性を持て!
っと言う事でしょうか


それもこれも私の考え過ぎでしょうか?

何度も言うように
初代は言いたい事があれば夜中の2時3時でもいきなり電話をして来る人
らしいので(これは父から聞いたのではなく他人様から聞いた話です)
相当な忍耐が必要だったと思われ....

 

 

まあ、なんにしても「言われるうちが花」という事ではないかな


言われなくなったら

”言ってくれる人を探す”

必要もありそうだ....



 


二代目の格言99

2019-08-01 08:01:42 | 二代目の格言

私の父(当社の二代目)が初代(祖父)から聞き及んだ
”商い”に関する語録集 今回で99個目

 

「すまじきものは 宮仕え」
:人に仕え、人に使われる立場は、できればしないに越したことはない

何故、この言葉を持ち出したのだろう?

上司にガミガミ言われるから宮使いは嫌だ! 
っと言う単純な事でもないような気がする。

 

もしかすると歌舞伎の「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅ てならいかがみ)」の四段目
「寺子屋」に出てくるセリフ「せまじきものは宮使えじゃなあ」
からのインスピレーション?
(そこまで考えていないかもしれないけど......)

早速、歌舞伎のお話を大まかだけど調べてみた

 

「菅原伝授手習鑑」
”菅原道真”(のちに学問の神様って言われる人)と
”道真”の敵である”藤原時平”
(後に”道真”を追放し政権を握るが39歳で死去。”道真”の怨霊による祟りとも言われている)
この二人にそれぞれ分かれて仕える三つ子(”梅王丸”・”松王丸”・”桜丸”)の物語

 

四段目「寺子屋之場」

”道真公”に恩を受けた”梅王”・”松王”・”桜丸”の三つ子の兄弟
現在、”松王”だけ敵方の藤原時平の元で働いている

”道眞”から書道の極意を伝授され、
今は寺子屋をいとなむ”源蔵”は
”道眞”の息子、”秀才”をかくまっている

そのことが敵方に知られ
”秀才”の首を討てと迫られる

以前の主君に忠義がある”源蔵”
その息子を殺す事が出来ずに悩み
とうとう寺子屋の子供のひとりを代わりに殺して差し出す
という恐ろしいことを考える

しかし、自分の寺子屋には”秀才”のような品格のある子はいない
そんな子では首実検をする”松王丸”にバレてしまう

ところが、その日寺子屋にもどると、
いかにも品格のある男の子が新たに入学してきたことを知り....

”源蔵”は、今日 入ったばかりの子を、いかに”秀才”の身替りとはいえ
命を奪わなければならぬとは…

「せまじきものは宮仕え」

とセリフをはき 涙に暮れる.....

 

この後、実は殺されたこの日入学した子供は....
とかいろいろな複雑なお話しが続くのですが
(ご興味のある方はご自身でお調べください)

 

さて、この歌舞伎の一話が今日の「二代目の格言」の
元であるならば

「すまじきものは宮仕え」は

単に、上司にガミガミ言われてまで尽くさなければならないなんて

ではなく、

見ず知らずの他人を犠牲にしてまでも
主家・主君への忠義を果たさなければならないなんて....

位に大層な事である

 

 

では、いったい何を伝えたかったのか?

 

今日現在の私の答え

結局「宮仕え」の道を選ぶか?
それとも
「すまじき」という心の声に耳を傾けるのか?

その選択肢は人それぞれにある.....

その内なる声に耳をちゃんと傾けよ!

って事でしょうか?

 

考えすぎかな?!