赤峰和彦の 『 日本と国際社会の真相 』

すでに生起して戻ることのできない変化、重大な影響力をもつ変化でありながら一般には認識されていない変化について分析します。

昨日を捨てるとき コラム(383)

2022-01-21 10:36:51 | 政治見解



コラム(383):昨日を捨てるとき 

前稿で「メディアが岸田首相を叩かない理由」を論じましたが、結論部分に「岸田政権をどうしよう、メディアをどうしようなどといった些末なことはさておいて」と書きました。なぜ、それが「些末な」ことなのか、この意味を述べます。


従来思想のエンドラインに立っている

現在の世界秩序とそれを支える基本的な価値観は西欧文明を基軸にしたものですが、いまこの構造を変えなければならない時期にさしかかっていると思われます。

2015年には国連総会で、経済と社会と環境のバランスを取ることを目的にSDGs【※1】を全会一致で採択しましたが、何も進展していないといっても過言ではありません。むしろ「SDGs 言うやつみんなカネ目当て (飯山陽)」と川柳にされるほどで、国際機関の無能さを印象付けただけだと思います。

【★1】エスディージーズ:Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標:将来の世代の欲求を満たしつつ、現在の世代の欲求も満足させるような開発が行われる社会をさす。

その上、新型コロナウイルスの猛威が世界を席巻し、さらには、気候変動による自然災害の規模と回数が多くなるにつれ、各国政府の無力さイエオロギーや宗教による救済力の喪失を見せつけられています。これまでの常識を形成していた価値観では何事も解決しえない状況です。

いま私たちは、これまでの古い価値観のエンドライン上には立っており、次の時代のための新たな価値観を模索し、変化を選択しなければならない事態に直面しているのではないかと思えるのです。


変化を求められる現実

しかし、基本的に人類は変化を好みません。それでも過去の価値観が激的に変化してきたのは、自然の脅威、疫病の発生、さらには、人為的に引き起こした戦争などの外的要因によるものであり、これによって人類は、意識や価値観を変え、社会の仕組みを変えざるをえませんでした。

例えば、人口爆発、気候変動、疫病の蔓延がゲルマン民族の大移動を引き起こしたことは世界史で学んだことですが、これによって西ローマ帝国は滅亡する過程でヨーロッパに中世社会を成立させる原動力になりました。

次に、ペストの大流行が中世ヨーロッパの時代が終わらせ、ルネサンスを花開かせ、ヨーロッパはほとんど一夜にして都市中心社会を生み出す力となりました。

さらに、アメリカの独立革命とイギリスの産業革命は現代社会の価値観と今日の近代主義を生み出しました。現在の資本主義、政治の仕組み、今日の思想やイデオロギーなどの殆どがこの時代に由来しています。

それから250年経過した現在、コロナ禍と大規模な自然災害は、価値観、政治や社会の構造的行き詰まりをあぶりだしました。古い価値観の体系的な廃棄を迫っています。新しい酒は新しい革袋に詰めなければならないように、古い価値観の延長線上に新しい価値観を置くのでは何も変わらないのです。

とくに、自分自身が高齢者になってみて気が付くことは、新しい時代にふさわしい考え方を見てもなかなか古い価値観を捨て切れないということです。たとえば、ITの最先端技術の話を聞いても理解しづらくなっていることと一緒なのかもしれません。まして、反体制左派としてイデオロギーに洗脳された人にとってこれまでの価値観を捨てるのは難しいことのように思えます。極端な言い方を許してもらえば、高齢者とイデオロギーに汚染された人は真っ先に廃棄対象になるべきと思えるのです。


古い価値観を葬ることが先

仮に古い価値観にこだわって執着していても古い価値観は捨てざるをえなくなります。捨てるように迫られます。なぜなら、これからの数年、想像を絶する大災害が地球規模で発生すると思われるからです。これらは、これまで人類が蓄積してきた想念上の負のエネルギーが爆発に起因するものですが、その凄まじさが人類へのショック療法になると考えらます。

歴史の転換期のはざまにある現在、救済を必要とする人の数はおびただしいものがあります。それにも関わらず、私を含めてみんな無関心です。事実、地球上ではいたるところに難民が存在し、戦争と社会的激動の被害者、人種・民族、政治。宗教的な迫害を被った人、政府の無能力と虐待の被害者が大量に存在します。

その上、秩序が保たれた安定した社会においても、知識社会への移行、社会構造の変化に取り残された人びとも一定数存在します。わが国にも例外ではありません。

しかし、私たちはこれらの事象に苦しむ人びとを、すべて政治や社会のせいにして自分のこととして考えることはしません。真剣になって考えることができるのは自分が彼らと同じ立場に立つとき以外にはないようです。

ということは、世界中の多くの人が、金持ちであろうがなかろうが、善人であろうがなかろうが、否応なく大きな災害に見舞われ、苦しむ人と同じ境遇を味わい、同じ立場に立って初めて考え方を改めなければならないときがくるということを意味しています。つまり、人類全体の集合想念によって大規模な災害が起きることは避けられず、覚悟を決めておかねばならないということです。

そして、大災害を契機として従来の価値観を廃棄せざるを得ず、現状の様々な事象は「些末」なことに過ぎなくなるわけです。

人類の復活は古い価値観という死者を葬って後、その悲しみを乗り越えて、新しい時代の価値観を構築していくことになると考えます。



  お問い合わせ先 akaminekaz@gmail.com【コピペしてください】
  FBは https://www.facebook.com/akaminekaz