★四百年遠忌記念特別展『大名茶人 織田有楽斎』 京都文化博物館 ※6月25日(日)まで
2年前、特別展『承久の乱』と途中で終了しちゃった京都文化博物館!
今回こそはと3月に大阪を訪れた際に前売り券を購入しておいた。
織田有楽斎の存在を知ったのは中学生の時に読んだ司馬遼太郎の小説『城塞』だったろうか。
その時は淀君の叔父(か伯父)としてアドバイザー的な存在ながらも、我儘な姪の説得に匙を投げて大阪城を出た老人~
という風に描かれていたように思う。
織田信長の歳の離れた末弟で兄と違って気が優しく、戦国武将に向かないような性質という印象が残っている。
東京の有楽町は、この人が後に徳川家康に仕えてもらった屋敷があった場所に由来~ということもこの時に知った、ような。
故に、有楽(「織田有楽斎」よりも「織田有楽」として覚えたような気がする)が茶人でもあることを知ったのは
たぶん漫画「へうげもの」を読んでからだったかも~
そこにいたのは海千山千の老人ではなく若々しく粋でおしゃれで育ちが良い戦国武将茶人の姿。
それからは「茶人」として認識して、有楽井戸茶碗や明月椀とかゆかりの道具を鑑賞するようになった。
「冬の京都」で正伝永源院を訪問したのは2011年2月のことだったっけ。→こちら
そんなことを懐かしく思い出しながら会場へ。
いきなり「本能寺の変」からでビックリした。
焼けた本能寺の瓦は他で見た事もあるので今さら驚くこともないが、変の時に織田信忠を行動を供にしながら脱出したことから
「逃げた武将」と呼ばれていたとは。。。
そういえば『城塞』に書いてあったっけ。(故に少し屈折した暗さがある老人のようなキャラクターだったっけ?)
そこから交友関係。
そこは利休七哲の一人だし、信長の弟だし、家康に仕えたし、書状の数々を観ながら納得しながら進む。
そこを抜けてやっと「茶人」としての展示。
とはいうものの、孫(織田三五郎)宛の遺言状やら茶湯日記など史料がつづき、少しうんざりしかけたところで
漸く茶道具出てきた。
正直なところ、印象に残ったのは明月院所蔵の桜花螺鈿椀(明月椀)・牡丹唐草螺鈿膳のセットとマスプロ美術館所蔵の青磁茶碗「鎹」ぐらい。
明月椀は初めてではないけれど、なんせ本歌だからねぇ。その古さに「おぉ」と思う。
(明月院、今頃は紫陽花がきれいだろうなぁ。でも、人出の多さに訪れる気がしない)
青磁茶碗「鎹」は再見。
前回観たのは10年以上前(2012年3月に瀬戸へ青磁展を観に行った時だからねぇ。懐かしかった。→こちら)
でも、なんでコレがここへ? 展示解説を読まなかったのでググってみた。
平重盛→足利将軍家(義政が修理に出し鎹が打たれて戻る)→織田三五郎へという流れ。(かなり大雑把な来歴)
後半は正伝永源院の寺宝ばっかりだったので、サーっと流し鑑賞。
唯一、如庵のCG体験は面白かったなぁ。
三井記念美術館の展示室でも写しは拝見するし、都内の神谷町で写しの茶室で一服いただいたこともあったけど、鱗板の効果で広く感じる素敵な空間。
あの茶室を設計した有楽斎の感性って、やっぱいいよね。
グッズ売り場でも旅先ということもあり、食指が動かず購入はしなかった。
まぁ、来年? サントリー美術館に巡回することからその時に改めて観ようかなぁという感じ。
時間に余裕があったので総合展(常設展)の方もゆっくり見た。
やっぱり、京都って時代がミルフィーユ状態だから面白いねぇ。地層みても顕著だし。
企画展示の桃山デザインも面白かった。
特別展と常設展併せての1,380円(当日1,600円 前売1,400円のところを金券屋で購入)はお得。
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