Akatsuki庵

後活(アトカツ)中!

思い出の除夜釜

2009年12月31日 09時46分26秒 | 茶会/茶事
大晦日。
今夜鳴るであろう除夜の鐘。

除夜の鐘は人間が持っている108個の煩悩を落とすという意味で108つ鳴る。
このうち、107つは12月31日に鳴るんだけど、最後の一つは年を越してから鳴るんだって。
(年を繋ぐという意味がある?)

単純に年が変わったからといって、まったく新しく始まるのではなくて、前の年から一部を受け継いで、次に繋がっていく。

茶の湯でも、炉中の種火も大晦日に埋めて、
元旦はその火を星を掘り起こして新たに火を繋ぐ。。。。のが正式(らしい)。

この話を聞いたのは3年前。
初めて参会した除夜釜の席である。

今年1年を回顧してみようかと思ったけど、
頭に浮かんでくるのは2006年12月30日の夜ことばかり。

この日は「埋もれ火の茶事」と「除夜釜」のダブルヘッダーだった。
「埋もれ火」もこの時が初体験。
どういう意味かというと、、、
炉のお点前を始めに考案したのは千利休だと言われている。
他の茶人さんたちと釜の煮えをよくする試行錯誤した行為に由来するそうだ。
(だから、「埋め火」とはかなり違い、五事式の廻り炭と似てる)

それで、年の瀬にみんなで一本ずつ炭を継ぎ、そして火を熾して
ともに一体感を持つ趣向。

本当に楽しい茶事だった。
あれ以来、日程が合わず(12/20前後の日程になってしまい、気分的にも早いし)
参会は叶っていない。
(だから、なおのこと懐かしく思うのかもしれない)

ということで、今日はは3年前の大晦日に書いた当時の日記からの転載

さて、昨日の茶事のことを思い出してみましょう。

まず「埋もれ火の茶事」から。

待合でお湯をいただいいて、腰掛け待合へ。
稽古茶事でも外腰掛けの経験はないので、ちょっと緊張。
(お茶会で座ったことはあるくらい)

露地がすばらしかった。

お席入り。
(床の軸は『千秋萬歳楽』でした。歳末らしい!)

亭主との御挨拶。
そして、炭手前。

ん? 
通常より炭の数多く、点炭と割ぎっちょばっかり。
一番上に輪胴。
巴半田の登場が出て、亭主が炉中の種火を3本とも上げ、
一度下がって灰器を持ち出し。
たーっぷり湿し灰をまき、種火一本だけ入れ、亭主が輪銅をつぐ。
廻り炭のように正客から一人ずつ点前座に行き、一本ずつ炭をつぐ。
(一本とは限らない。正客が2本つげば、次客以下もそれに習うんだけど、
今回はお客だけで12名いたから一本づつとなった)

茶事にしては多いから、輪銅から種炭をぐるっと囲むようなつぎ方になった。
(こんなにきちきち入れてしまって、空気の通り道ないし、火がおきるのかしら~
と思ったが、ぐらぐらに沸いた)

炭手前の後は、お懐石。

お正客が後のスケジュールを考慮して、汁替えを断った以外は通常通り。
(御飯、汁、向付、杯台が回ってきて杯をとりお酒出て、煮物碗出て、焼き物。
ただし、強肴はなし。箸洗いの小吸い物、八寸あり。湯桶と香の物)
(茶懐石をいただくのって、瓢亭以来1年ぶり

いかんせん席中の照明がすごく落としてあって、暗い。
おまけに3時過ぎから始まったので、どんどん外が暗くなって、さらに手元が見づらい。

私、暗いところの眼の感度が鈍くて、ほとんどモノクロにしか見えない。
だから、口に入れるまで食材が何なのかわからない。
すごく美味しかったんだけど、堪能しきれなかったのがちょっと残念。

さて、主菓子いただいて中立ち。

と思いきや、
「この後は除夜釜に引き継ぎますので、御菓子のその折りにお出しします。
このお茶事はここでお開きとさせていただきます」

は?

本来は、中立ちがあって後入りなんだけど、除夜釜があるからあくまで!
の変形パターン。

とはいえ、お茶事なのに、お茶飲んでない。。。。
「これも、お茶事と呼んでいいんですかぁ?」と、後でご一緒した先輩に伺うと、
「あくまで変形だから、お茶事よ」とのこと。

退出すると、日はとっくに暮れていた。
蝋燭の行燈が露地を照らしていて、とても幻想的な雰囲気。
(まるで夜咄)

以上で、「埋もれ火の茶事」はおしまい。
(前半だけだったので、0.5ラウンド?)

休憩をはさみ、今度は「除夜釜の茶事」
メンバーは1名減って、2名増えて13名。

お手洗いを済ませ、待合に待機。

待合から、照明は蝋燭のみ。
暗い。
床は訶梨勒がかけてあった。
お仕立ては初代友湖らしいんだけど、拝見はしたけど、拝見できてない。

白湯は、「染井の名水」と仰っていたように聞こえた。
ということは、京都の梨木神社。懐かしい~。

と、銅鑼がなり始める。
「これから百八つ鳴るのよ」とベテランのお次正客様が教えてくだった。

腰掛け待合へ。
今度は、お詰の一つ前。
外はしんしんと冷える。帯つきのままだから、さすがに寒かった。

お詰は灰形教室のお仲間。
10年前からお茶事で此処に通われていて、先生ともお親しいし、
年齢も20歳近く上でいらっしゃり、お茶事も御自宅で催される“大先輩”。
裏技から間合い、細かい点まで教えていただいた。
(ほとんど、御注意を受けていた状態に等しいけど
すごーく勉強になった。
(ちなみに、「埋もれ火の茶事」では急きょ、お正客をつとめられたのだけど、
亭主との会話がとても素敵で聞き惚れてしまった)

席入り。
お床の軸は『深雲古寺鐘』。

亭主は~。あれ?さっきの「埋もれ火の茶事」でお詰をされた方だ~。

御挨拶の後は「一の膳」。

おぉ。来たか~。
行きのタクシーで「四の膳まで出るからね~」と聞いて、目をぱちくり。

一の膳は小ぶりの丸盆に小吸い物碗が出された。
中身はお蕎麦。
(年越し蕎麦ですねぇ)
部屋の照明は正客の隣の燭台のろうそくだけなので、さっきよりさらに暗い。
(ほとんど真っ暗)

一の膳が下がった後は炭手前。

と、また巴半田が登場。

炉中は、さきほどみんなでついだ炭が赤々と、とろけていた。

うわー。すごい。こんなに炭が起きていたのか~と思うと、感動。

それを全て巴にあげて、そこから種火を見繕って炉中に入れ、あとは初炭。
(でも釜敷は組釜敷だった)

ということで、炭が新年へと“繋がっていく”という趣向。

炭点前の後は「二の膳」

足のついた朱塗りお膳にやはり朱の飯椀と汁碗。
(これにはちゃんと意味合いがあるらしい。
「どっかで見たことある~と思ったら、精進料理でした~)

これも、通常の茶懐石とほぼ同じもの品数が出た。
(御飯、汁、向付、杯台は回らず、杯は折敷の上にのっていた。
お酒が出て、煮物碗出て、湯桶に二段のお重が回ってきて、
一段目は沢庵と香の物、二段目は半月の長芋)

↑この時は、燭台が出たけど、それでも暗くて、相変わらず食べるものが見えない~)

最後に縁高に入った主菓子が出た。
尾長亀を象ったお饅頭。

中立ちして、腰掛け待合で待機。

その折り、お詰さんから、蹲いでのタイミングについてアドバイスを受ける。
(要するに私がトロくて、前との間隔があいてしまう)
前のお客様が蹲いを使われている間の立ち位置となる石まで教えていただいた。
おかげで、後入りの席入りのタイミングはバッチリだったよん!

床は竹の一重切(武者小路千家の家元の在判が裏にあるそうだ)に白玉椿。
蕾が本当に玉!

六角形の水指に大ぶりの大海。

今年最後の灰形教室の折り、長緒茶入の話が出たので、
先生に「長緒茶入を取り合わせる趣向って、何か特別な意味があるのですか」
と質問した。

長緒茶入は祝賀の席の折りに取り合わせるのだ、というお答えだった。
なるほどー。

いよいよ濃茶が始まる。

大ぶりの古萩のお茶碗に練られた濃茶を席中の13名で回し飲んだ。
きっと中盤の方は遠慮されて、少ししか飲まなかったのか、
12番目の私の位置でもけっこー残っていたようだ。

「ようだ」というのも、中身がどれくらい残っているのか、まったく見えない!
「あまり残っていないだろうな。すするくらいかしら」と思ったら、
いきなり上唇の上を超えるくらいの濃茶がドバーと教えてきたものだから、
もービックリ!
たっぷり3口いただいたのだけど、まだ相当残っている。
(かと言って、作法だから4口以上はちょっとなーと思っていたら、
茶碗の正面を正す回転を逆にしちゃったよー。)

お詰さんはどーするんだろー、申し訳ないと思いつつ、回した。
3口どころか9口ぐらいかけて飲んで、吸いきりをされた。

このあたりで待合から聞こえてくる除夜の「鐘」ならぬ「銅鑼」が百八つ鳴り終わった模様。
聞こえなくなった。
(つまり、年を越した!っていう趣向ネ)

お茶碗の拝見も終わり、亭主がしまいつけにかかった時、
燭台の蝋燭がとうとうなくなり、本当に暗闇に。

お詰さんが水屋に声をかけ、燭台を用意していただくまでの間、何も見えない状態。
暗闇の中で、ご亭主が水指から釜へ水をさす「シャーっ」という音が席中に響いた。

す、すごい。
ご亭主さん!

私には不可能な芸当。
改めて技量の差に舌を巻いた。
(お膳を運び出す際の立ち座りもすごく美しい所作で、タダモノではない感はあったけど)

お客様用の燭台が3つ出る。

お茶入、茶杓、お仕服の拝見。
頭をすごく近づけたので、茶入は形と釉薬の加減がなんとか見えた。
(唐物ではなく国焼で、備前だったかな。とにかく大きい。蓋は真新しかった)
御茶杓が3つ節があって、縦長の穴も空いていて、とても変わった景色。

お作は円能斎。銘は「五彩」。

続いて、「三の膳」。
ここで、燭台が下がり、照明(といっても、電球一つだけど)がつく。
(↑夜明けが近くなる趣向)
半月盆の真ん中手前に煮物碗、奥に向付。
杯台がまわってきて、杯をとる。

と、これまで出なかった焼き物、強肴、向付、いや八寸か。
とにかく、お皿とお鉢がつぎつぎと出され、回ってくる。一つ回ってきて取って、
食べようかと思ったらすぐ次が回ってきて、食べるヒマがなく、小さな向付のお皿は山盛り状態。
(照明ついたとはいえ、暗いので、もー何がなんだかわからない)

ちらし寿司も回ってきて、これは煮物碗の蓋へ。
カラスミも食べたし、練り物もあったし、鮑もあったなぁ。
とにかく10種類を超える珍味の数々が登場した。

何回か除夜釜に出たことがある方ですら、「こんなに出てくるのは初めて」と驚くほど出て、もーひたすらに食べた。
(お酒はおかわりが回ってこなかったので、食べるの専門!)

半月盆が出ると座がくだけるので、客同士が会話をしてもよいのだとか。
食べるのに必死になりつつ、お話も弾んだ。

最後はお詰さんの脇にお皿がズラーと並んだ。

そして、八寸。(山のものが黒豆だったのは覚えている)

あ! 一つだけ本懐石と違うことが!

煮物碗の蓋は蒔絵だったので、ひっくり返しはしない。
杯は煮物碗の右隣へおいた。
(この辺、半月盆は余裕がある)

「三の膳」が下がり、続いて「四の膳」。

小ぶりの丸盆にお椀が一つ。
中身はお雑煮!

ここで、照明がふるに明るくなった。(←夜が明けた!)

「新年おめでとうございます」とばかりに、お雑煮をいただいた。

本来なら、後炭、薄茶があるのだろうけど、既に10時を回っていたので、それはなし。
お雑煮が下がったところで、亭主との御挨拶があって、退出。

御挨拶は、新年の祝賀でした。

外は当たり前だけど、まっくら。

遠方の方は帰りの電車が迫ってきているので、ここらへんから早退者がちらほら。

本当は夜を徹して飲み食いするんですって。

こんな風なお茶事も楽しいね。


(転載ここまで)

懐かしいなぁ。
この体験から「ちゃんと茶事の勉強したい」と本気で思うようになり、
この1年後に新橋の灰形教室がクローズになり、こちらの会場にて再出発したっけ。
以来、毎月1回通っているわけで、現在に至る。
来年ももっと茶事を楽しめる自分でいたい。

では、皆さん、今年もありがとうございました。
よいお年をお迎えください。

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