妹も、先日牛若丸書いています。実は私も少し前に書いていて、やはり双子ですね。笑。重なるとこありますが、お付き合いください。ありがとうございます。
源義経。幼少期には、平治の乱で父である源義朝(みなもとのよしつね)が謀反人となり敗死し、また後には、実の兄源頼朝に裏切られ、そして家族を自分の手で殺害せねばならなかった悲しい運命を背負った方で色んな話として逸話が残り、人を惹きつける方ですね。
鞍馬の地に行ったので、鞍馬天狗と縁深い義経の人生を、歴史をもう少し深くみてみたくなりました。
平安時代末期、義経こと牛若丸が遮那王(しゃなおう)と名乗っていた頃、七歳から十年間、昼は学問、夜は武芸に励んでいた地が鞍馬であるといわれています。
幼少期に、鞍馬寺に預けられた義経はある日、見知らぬ山伏(やまぶし)から、平家討伐を達せられるよう兵法の秘伝を授けられます。のちに山伏は自分の正体は大天狗であると明かします。義経が11歳の時のことだったといわれています。
厳しい修行に耐え抜いた義経に兵法を授けた大天狗は再会を約束し立ち去ったといわれています。
義経が修業の際に使っていたといわれるのがこの木の根道です。確かに凄い根でした。
鞍馬の硬い地質のため杉の根が地中に入らず地表を張って出てくるこの地域独特の景観のようです。
根っ子みたらわかりますよね。ゴツゴツ感。
幼少期の義経はこの地で修業をし、かの壇ノ浦の戦いにおける”八艘飛び”(大きく横に飛んで相手をかわす戦法、6メートル跳んだとか!?)伝説の由来となっています。
鬼滅の刃で磐座が切れるまで剣を訓練しろと炭治郎に言った鱗滝左近次。少し義経と鞍馬天狗みたい、と思いました。
何事も鍛錬、修練、継続。ここを修行の場にした義経は凄いですね。尊敬。
鞍馬の山は、山中なのに階段がありました。なかったら登るの大変。昔は階段も無かったはず。階段があっても結構私の足はプルプルでした。この山は男っぽい氣があります。周りの空気感も山道も、そんな感じです。
歴史は勝者によってつくられます。勝てば官軍。義経は、鞍馬天狗から得た兵法により、平家を打倒するもその後、実の兄頼朝に裏切られます。そして、悲しい最期を迎えました。弟、義経の凄さと人気への頼朝の嫉妬だと思います。
頼朝と義経の確執。そして男が歴史の表舞台で活躍すれば、女は裏でその男の歴史を支えていました。
頼朝には、政子。そして、側室ですが義経の愛した女性に静御前がいます。静御前については長くなりますので、また明日。
つづく