大嘗祭とは五穀豊穣を祈る祭りであり、
神々に備えるために全国から集められる供物の中でも特に重要なのが、その年に収穫された新米です。その産地の場所を占うのに亀を使って決めたようです。
令和の大嘗祭の際も、東日本と西日本のそれぞれ1カ所ずつから儀式に使うお米の産地を決めるために、亀卜(アオウミガメの甲羅を焼いてひびの割れ方を見るうらない)がなされました。
「斎田点定(さいでんてんてい) の儀」という祭祀のようです。
選ばれた農地は縁起が良くて嬉しいですよね。太古から人でなく、天皇陛下を通して神が決められた、とあれば、誰も反論はできないですし、喧嘩もないですしね。
日本では、古くから鹿の肩骨を焼いて占う太占(ふとまに)が行われていたようですが、
ふとまにの「まに」は、神のまにまに、神の御心のままに、の「まに」でしょうか。
鹿や亀といった霊的な動物の一部は、神の一部として占いの道具として用いられたのですね。
ところで、対馬には5世紀頃、亀の甲羅を用いる亀卜が大陸から伝来していたと言われています。
中国の殷の時代から、亀卜はあったようですし、大陸がずっと今より太古は近かったから、もしかしてもっと昔からあったのではとさえ思います。九州では人の大陸からの交流は太古から盛んだったようでした。
壱岐島や宗像大社の博物館では、確かに太古の人が占いに亀の甲羅や鹿や猪の骨を使っていたのもわかりました。
令和にあっても、宮中神事では今なおその伝統が守られているのですね。
にぎたえや、忌部氏のあらたえなどの神事も然りですが、守り続けて欲しいですね。
日本は、今では政教分離をうたっていますが、政治と宗教は昔から密接に繋がっていました。太古は、神託は政治に用いられ、場合によっては、統治者がその責任を負い重い刑罰を受けることもあったようです。
古代、統治者の重要な関心事は、作物の豊凶や天変地異、病気の蔓延等でした。政治をするものは、祭祀に頼り、人智を超えたものの力を予見したかったために、亀卜を使ったのでしょうか。
亀の甲羅はまるで天体、4つ足は四方の大地を踏み締め、頭を含めて5は、陰陽5行の5にも通じますし、亀の目は八方睨みの目といわれるように、8という♾の意味もあり、体全体で天の理を象ったように思えたのかもですね。
つづく