復讐するは我にありというお言葉があります。

「復讐するは我にあり」は、新約聖書(ローマ人への手紙、第12章第19節)に出てくる「愛する者よ、自ら復讐するな、ただ神の怒に任せまつれ。録して『主いひ給ふ、復讐するは我にあり、我これに報いん』とあり」という言葉の一部で、悪人に報復を与えるのは神である、を意味するようですね。
クリスチャンでは無いけど、有名なお言葉なので知っている人も多いかもです。
「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」『マタイ』 5 ,39というイエスの言葉
と繋がります。
宗教人でない私は、右の頬を打たれたら、逃げますね。悪人は、右の頬を打ったら、次は左の頬を打ってやろう、、次は、右手を折ってやろう、その次は左手を、、と。まだまだ飽きたらず、右足、左足を折ってやろう、、
関わると、痛いだけですから。
自分のことをそんなに知らない人が、陰口、悪口、ヒソヒソ言っているのを知っても、完全スルーが良いのじゃないかなぁと思います。
自分が強靭なメンタルモンスター、長友選手みたいなら、批判は仙豆みたいにして🫘パワーに変えるわけだけど、なかなか、そんなブラボーなこと、凡人の私は出来ないから、

ブラボーなおふたり
もし、そういうことがあったとしたら、あぁ、😮💨またどこかの野良犬が吠えてるなぁ、、と完全スルーが一番自分を守る方法かなぁと思いますね。
気を揉むことも、自分の気を乱してしまいます。そんな、どうでもいい(←失礼)ヒトのせいで、自分の気を乱すことは、自分にとって良くありません。
嫌われるという事は、気が割れる事かな。相手の気と自分の気が割れて合わないから嫌われる。目に見えない気には合う合わないがあり、悪口なんかの悪趣味を放つ気には、近寄らない方が自分の気を守ることになる気がします。
悪に悪で対峙すると、この世は悪だらけ。
人を呪わば穴2つ。
一点でも良心がその悪人に残っているなら、悪をしている人も1日も早く止めることを祈りつつ🤞自分を傷つけようと悪意があるヒトにより、自分の良心や、自分の気を、傷つけない。相手の思う壺にならない。
相手はその人なりの正論をノタマウ。。。
だから、平行線。交わることなきヒトと交わろうとすると、交戦となりツカレマス。
関係なくいられる存在なら、関係を断つのがよく、ブログなら、見に行かない。
嫌われてるのは、人気があったり、自分に欠けた気を持っていてうらやましいからかもです。
兎に角、嫌なことをされたら、自分を守る、自分の気を守る。これに徹します。
苦しんだ本人が成敗しなくても、天はそんな人を改心させようと、時間をかけてじっくりと時を見計らって網で捕まえます。
天網恢々疎にして漏らさず
これは、天の悪人への改心を促す恩寵だと思います。
無力感がニュースをみると押し寄せてくることがあります。いじめなんかも、された方、傷つけられた方が命まで投げ出す。その苦しみや、遺されたご遺族の無念を考えたらやるせない。
私は自ら命をたつ人がゼロになる社会が理想ではなく現実になるといいなと思っています。
自分を守る。自分の気を守る。これは、自分の中にある良心、善なる心に止まり守る責任のこと。
誰かによって傷つけられたりしない、それはそれは綺麗な玉でも、光り輝く太陽でも、何でもよいからイメージをして、胸の宮殿の中にいる自分の一番の味方を守る。
誰かの汚い刃をそこに届かせない。自分が汚い刃をキャッチして、自分を突き刺さない。
自分は自分で守ること
これを大切にしたいなぁと思います😊✨☀️