大善人へ身魂磨き

善でありたいと思う。日々精進。感情の渦に呑み込まれそうな時もあるけれど最後には明るく静かな大海原に和合したい。

十牛図 第1図「尋牛」不思議なかくれんぼ

2021-10-26 05:44:00 | 神話・物語・本から

十牛図に関しては、色んな方が解説しています。もともと、禅宗の僧により描かれていますので、禅問答のように、答えは自分の中にあり、ひとつではないと思いますし自分が深まれば深まるほど色々と解釈できると思います。


この図を知ったのはかなり前ですが、津野町出身の絶海和尚と結びついたのはつい先日です。だから、頭の整理のため書いてみようと思います。


まずは廓庵の十牛図には弟子の慈遠によって次のような意味の序が付けられているそうです。


どんな人にも仏の真源、仏性が備わっているが、迷いの世界に入り込みもがき苦しんでいるので、そこから逃れる方途をこれまでも示されてはきたが、それらは不十分であったので、新たに廓庵禅師は牧牛によってその方途を示された。(Wikipediaより)


 第1図「尋牛(じんぎゅう)」には、「牛(自分)」を探しはじめた人の様子が描かれています。


 禅では「自分を見つめなさい」とよくいわれるようです。雑多な思考から離れて自分を見つめ直す、自分を知ることにより、自分にとっての幸せとは何か考えるのが先ず第一歩とか。


そして、牛が自分だとすると、今の自分は「居る、ある」限り、無くしようがないはずだけど、そんな自分を探すのです。自分探しの旅がスタートするのです。


大切なものなんて、そんなに多くは無い気がしています。牛は自分の例えのようですから、不思議なかくれんぼですね。外に出て探し始めますが、外を探して見つかるのかなぁとも思いました。自分の中に隠れている自分(牛)を探すのですから。


探し当てるまでの苦労がこれから始まります。苦しみの中に入ると、それまで見えていた景色が色褪せて見えたりします。モノトーンのような世界に迷い込んでしまった時、迷いの自分を辛抱強く待つ自分が牛かもです。


ゆったりと草を食みながら見つけてもらうのを待っている牛。それまでは、「誰かの牛」をみては、カッコいいなぁ、毛並みがいいなぁと思っていたとしても、自分の牛に気付いたら、それには意味もない事に気づきます。


自分の牛、本当は失っていない何かを失ったと心が感じる喪失感が、焦りを生み、不思議なかくれんぼがスタートします。


どんな牛が、隠れているのかな。私の牛は、目が綺麗な牛がいいな。角は丸い方がいいなぁ、とか思いますが、それは欲ですね。笑。

自分の牛に出会うまで不思議なかくれんぼのはじまりが第1図のような気がします。




つづく


義堂 絶海

2021-10-25 06:09:00 | ひとりごと

母に数年前、義堂、絶海について聞きました。「知っちゅう知っちゅう。どうした?」って言うので、津野町出身で銅像があるから連れて行って!ってお願いしました。「あるある、あんな田舎から偉い人がよう出たもんや。何やった人かは知らんけんど。」というのが母の返答でした。笑。


以前「禅」を調べていた時に義堂と絶海を知り、なんと高知出身でしかも津野町出身と知り驚き、早速母に電話で聞きました。


義堂と絶海は2人とも室町・南北朝時代の高僧です。将軍足利義満の信任も厚く、五山文学の双壁といわれた二人は、ともに津野町船戸地区の出身です。船戸とは母の出身津野町力石から車で数分。しかも、親戚の家はこの銅像のある目と鼻の先でした。




妹と私


その銅像の傍に稲葉洞があり、行ってから、またまたびっくりしました。ここは白龍と黒龍が棲むとされ、綾姫龍王伝説があるところです。母は子供のころ、この洞窟の中から助けられました。






義堂、絶海和尚は、龍の背に乗ってそれはそれは奥深い田舎から室町時代を駆け巡った方なのでしょうか。あんな田舎から車のない時代に凄いなぁと感心しました。



ところで、今日から中国北宋時代の禅僧廓庵が描いた「十牛図」について書いてみたいと思います。というのもこの義堂、絶海の絶海中津は、日本に残る数少ない十牛図の作成に携わったお方です。






相国寺にある「十牛図」は、室町時代の禅僧・絶海中津が文を書き画僧・周文が画を担当したとあります。


画を担当した周文は、雪舟の師匠にあたります。雪舟といえば、国宝の数がNo.1ですから、その師の周文も絵が上手いのは納得です!雪舟は水墨画を大成させた御方ですね。

私は雪舟にも惹かれて色々調べたことがあり、もしや半分雪舟は宇宙人ではないかと思っています。冗談ですけど。。。いや、ホントに。。。



まず「十牛図」とは何かですが、その前に禅について少し書いてみます。初祖、達磨大師がインドから伝えたのが「禅」であり、唐の時代に中国で発展していきました。その後、禅宗は鎌倉時代に日本で広まります。


その当時、農耕生活に欠かせないのが「牛」であり、実生活に基づいた発想で、人が仏性に自覚し悟りに至るまでの教えを「牛」と「牧童」に例え、悟りいたる10の段階を10枚の図と詩で表したものが十牛図です。






十牛図の作者、廓庵は北宋の時代の方です。日本ではその頃遣唐使が廃止されて、ひらがなが作られ、独自の国風文化が花開きます。絶海和尚は、室町時代の方ですからかなり後になりますね。

良い教えが廃れないで伝播するのは世の常なのですね。また、浸透するには昔は時間もかかったのですね。今は時間も場所も関係なく教えは共有される時代。ネットは凄いです。良いものを自分に取り入れたいです。


ところで、十牛図は「真の自己」が牛の姿で表されているためそう呼ばれており、真の自己を求める自己は牧童の姿で表されているとされています。



つづく


時間薬

2021-10-24 06:16:00 | ひとりごと

三つ子の魂百までといいます。実際に、自分をみてもあんまり昔から気質は良くも悪くも変わっていないなぁと思います。先天的な気質は持って生まれたもので、それは不変だとも言われるみたいです。


その気質にさまざま経験やそこから得た価値観などが加わることによって変わる部分もあり、人はそういう意味では変わるとも思います。身魂磨きはそれにあたると思います。


経験はヒトそれぞれですから、経験から得た貴重な考えや価値観は宝物にもなります。先天的な気質に、行動や意欲を足したら、性格になるのかな。


気質的なところは変わらないものの、その先の価値観(考え)を変えることで生きやすくなる事はありそうです。行動を調整して、気質が元は荒くても丸くなったりは可能だと思ってます。


感情的な人とか、怒りっぽいとか、ネガティブな思考とか、マイナスに捉えられる部分もありますが、喜怒哀楽があるって悪い事ではないと思います。もちろん、過ぎると色々支障はありそうではありますが。


怒る度に暴発していた人が、徐々に怒りに振り回されなくなったり、引きこもっていた人が、少しずつ活動を続けられるようになったりする話を聞きます。


どうしてかなぁと考えると、気質による辛い経験、痛い重い(思い) に時間が加わり、化学反応をおこす過程で、自分の中に摩擦が起きて、最初は火花を放つけれど、見つ(水)めながら、良い温度へと自ら鎮め(静め)るのかもと思います。


気質というか、性格というか、自分を悩ませた所の影響は徐々に少なくなっていくのかもです。火花がとび放ちはじめた摩擦時期が実は一番、アイタタ、痛いし辛いのかな。


以前黒曜石が気になり調べていました。黒曜石は火打ち石。石を擦り、摩擦によって火を発します。また、黒曜石は霊的な石で、祓い、魔除けの力もありそうです。火打ち石の火花を摩擦の火花みたいに自分を浄化するイメージに繋げます。

アチッ。





時間薬って自分で火を発してから火を鎮め丁度の塩梅の温度になるまで待つ時間。

塩梅は梅が塩と混ざり「ウメェー❣️」となることって私は思ってます。


(オヤジギャグ🥸好き。私はオヤジ。いや、オバン。)


だから、時間薬は自己治癒時間とも、自分の味を深める丁度の塩梅時間とも言えそうです。

またまた、それは傷口に塩が染み込んだりして痛いし忍耐の時間だけど、大切な時間にきっとなるとも癒(言)えそうです。





【画像は時間薬、火打ち石検索画像より】


平成の怪物

2021-10-23 06:54:00 | ひとりごと

先日松坂大輔選手の引退会見がありました。あどけない顔をした平成の怪物も41歳。私も歳を取るはずだ。笑。ネットニュースで松坂選手に関するこんな記事が紹介されていました。


「これまでは叩かれたり、批判されることに対して、それを力に変えて跳ね返してやろうってやってきたけど、最後はそれに耐えられなかった。もう最後、本当に心が折れたというか、今まではエネルギーに変えられたものが受け止めて跳ね返す力がもうなかったですね」 


自分だけでなくご家族に向けられた誹謗中傷の数々に心が折れてしまったようです。芸能人やスポーツ選手の私生活は自分に何の影響も与えないのに、テレビはそういうの好きですね。


簡単にものが言える時代。自分の一言が誰かを傷つけてしまうかもと一瞬考える時間を持とうとこの例をあげて訴えていました。


スマホ片手に言いたい事がいえる時代。誰しもが誹謗中傷する側にもされる側にもなります。有名人ならされることが一般人の比ではないです。

子供達の世界にもSNSを使う陰湿ないじめがあります。繋がりを求めたり、空気を読む事が求められる社会。そんな時代に心を傷める子供が増えます。


自分の価値観が絶対だと思う正義感の言葉も、その曖昧な絶対さ故に誰かを傷つけてしまいそうなら黙っていた方が良いとすら思ってしまいます。


心は皆自由です。しかし、行動や発言の自由が無い国も世界にはあり、そういう自由とは世界の中でも一部の人が享受出来る素晴らしいものです。囚人が自由を制限されるのは、行動に責任がなく、誰かを傷つける行為に対する正邪の判断が出来無いから。

行動にも発言にも自由をいただいているのなら、言葉で傷つける行為をしないのは責務かなぁとも思います。言刃は他人をあやめることもありますから。優しい社会を実現できるといいですね。


相手が目に付く方法で誹謗中傷したり、自分は言われたく無いことを相手に言いっぱなしにして匿名で隠れ蓑に入ったり、他人になりすまして誹謗中傷するとかなくなると良いですね。


もし、言刃を受けたなら、自分は自分で守り悪く考えない。嫌な気糞はトイレにでも流しスッキリさせて、フンと鼻から息を吐いて洗い(笑い)流します。






優しい世界になると良いですね。
笑い合えると良いですね。
認め合えると良いですね。

皆様いつもありがとうございます。
急に寒くなりました。
あたたかくして良き週末をお過ごし下さい。







ヤングなおばさん

2021-10-22 06:05:00 | ひとりごと

なかなか昭和なタイトルに自分もクスッと笑います。昔両親とテレビを観ていた時を思い出します。高知は昔は4つしかチャンネルがなくて、そのうち2つは教育テレビとNHK。子供にとっては、2つしか選択肢ないようなものでした。


そんな中、チャンネルの主導権は父。演歌とかの懐メロを母もみたり、私にとったら何処が良いのかわからなくて、渋々自分の部屋へ。スマホなんか無い時代何やってたかなぁ。部屋で、勉強したり漫画読んだり。


そんな感じでしたが、年末になると紅白は両親と共にみました。紅白では自分の好きなアイドルは凄い嬉しくて、反対に演歌とかは、両親が喜ぶ。

アイドルが出てくると、母は、決まって

「誰が誰かわからん、歌もさっぱりや。みんなぁおんなじに聴こえる」

と言うんです。わたしは、おばさんになっても、ヤングなおばさんになって、子供が好きな歌を理解できるヒトになろうと、母を横目に思ったりしました。笑






そうして、まさに、THE おばさんの今、子供達の観る好きな歌手は誰一人わからない自分がいます。遺伝でしょうか。。。


全て同じようにみえる。kpopなんて、男女の違いしかわからない。笑。顔ちがいますか?

子供達はスマホでみるからか、あまりテレビチャンネル争いはないですけど。そして私はテレビを殆どみないから、今どきの人がわかりません。子供のころ夢みた?ヤングなおばさんは幻想になり崩れていきました。笑


ああなりたいと願うものになっているヒトもいます。なっていないヒトも。ヤングなおばさんは私には難しかったです。


娘にとったら、私の鼻歌は懐メロかな。うるさいかもだけど、たまに、鼻歌を歌いながら気分を上げます。今は美空ひばりさんの愛燦燦がマイブーム。小椋佳さんが歌う優しい感じがいいな。


かなり、THEおばさん道をまっしぐら。

しかも歳とったっていいじゃないと開き直っています。愛燦燦と〜って歌います。上手く無いですが、愛sun sunと〜。お日様(sun)は愛ですね。心には愛を上げてあげます。


好きな鼻歌でも歌い、気分を上げて生きます。