「天高く馬肥ゆる秋」という言葉もあるように、秋の空は高く感じます。実はこれ、気のせいではなく本当に高く見えるらしいです。積雲がなくなり、空が澄み渡り雲は鰯雲や鯖雲、羊雲いった雲にかわり、雲の高低差がなくなるからとも言われています。
天高く馬肥ゆる秋とは、昔中国で収穫を狙った騎馬民族が襲撃していたことから、「敵襲に警戒せよ」と注意を促す意味合いがあったようですね。
食べ物を収穫した時に奪われるおそれは飽食の時代には考えられないですね。
秋のこの季節、「登高(とうこう)」というお話があります。
登高とは、重陽に茶菓や酒肴を持って高いところに登り、野宴をする風習のことで、小高い丘や小山に登ったようですが、後に寺塔や高い楼閣などに登るようになったそうです。
桜の宴会はイメージできますが、秋のこの時期にそんな風習があったのですね。この風習はもとは中国の風習で、こんな故事があるようです。
後漢の道士、費長房が弟子の桓景に「九月九日に災難があるから、家人とともに茱臾(シュユ)の実を入れた袋を肘に吊るして山に登り、菊酒を飲めば災厄から免れるだろう」と告げます。
桓景が急いで故郷に帰ってその通りにし、翌日戻ってみると家畜が皆死んでおり、それで家族は災厄を免れることができました。
この災厄とは疫病だったともいわれています。
家畜が全滅とは、大難にみえますが、家族の命は助かったわけですから小難に変えたともいえます。難と一瞬思われることが降りかかると、夫はこれくらいで済んだと思いなおすみたいです。私もその考え真似してみよう。笑
コロナ感染の数が減りつつあります。先人たちも数々の災厄を通り抜けて生き抜いたのだと思いながらこの話を読みました。
高い所に登り、秋の澄んだ高い空の中、紅葉を眺めるイメージをするだけでも素敵です。高さがあればある程、紅葉は色とりどりの絨毯のようです。
今目の前にあることを離れて見つめる視点は、いつか壮大な景色を魅せてくれるかもです。
時間も空間も離れて見れば見るほど、濃淡の醸し出す美しい織物のように景色はなります。毎日毎日を織りながら生きる誰しもが織り子。
季節が冬に向かう中、焼き芋でも食べながら、近視眼ではなく少し遠くから今年の出来事を見つめ、ふんふんふんふん、色々あったなぁと思いながらも、全て肯定して心は温かく冬を迎えたい気分です。