内経図は、北京、白雲観所蔵のようで、白雲観とは、道教の二大教派の一つである全真教の本山(根本道場)のようです。
全真教の教理は、儒教の信奉者から道教に改宗した唐代の道士呂洞賓(呂祖)の説、内丹的道教思想に淵源を見ることができるとありました。そこで、呂祖様の逸話をご紹介します。
何故、呂洞賓にピンときたかはWikipediaに、鍾離権の師である東華帝君の生まれ変わりである、という記述があったからです。
東華帝君は、私の好きな神仙物のドラマ十里桃花に出てきます。石から生まれたとか言われており、ドラマの中でも別格な存在でした。
呂祖様の逸話も、超人的で、凡人の域は超えていました。まさに、神。十の試練を見事合格されるんです。
呂洞賓が鍾離権から受けた十の試練は以下のようなものである。
第一試
ある日、洞賓が外出し戻ってくると、家族全員が病死していた。彼は嘆くことなく淡々と葬儀の準備をした。しばらくすると、死者はみな生き返ったが、呂洞賓は全く怪しまなかった。
第二試
ある日、洞賓が市へ物を売りに行き、その値段を決めたが、相手が前言撤回し、値段の半分しか払わなかった。しかし、洞賓は何も言わなかった。
第三試
洞賓が元日に門を出ようとしたところ、乞食が施しを求めてきたので、洞賓は物を与えた。しかし、乞食はさらに物を要求し、その上罵りだした。しかし、洞賓はただ笑って謝るのみであった。
第四試
洞賓が山中で羊を放牧していると、一匹の飢えた虎が羊の群れを追いかけてきた。洞賓は羊を下山させ、身をもって虎の前に立ちふさがると、虎は去っていった。
第五試
洞賓が山中の道舎で読書をしていると、突然、17、8歳の絶世の美女がやってきた。母の元から帰るところなのだが、日が暮れてしまったので、休ませて欲しいという。夜になると、女性は何度も誘惑したが、洞賓は最後まで心を動かさなかった。女性は三日経った後、去っていった。
第六試
ある日、洞賓が外出し戻ってくると、家の財産が全て盗まれていた。しかし洞賓は怒りの色も見せず、自ら耕し始めた。すると、鋤に何か当たるものがある。掘り起こしてみると、数十の金錠(貨幣となる金塊)であった。しかし、洞賓はそれを土に埋め、一つも取らなかった。
第七試
ある日、洞賓は街で銅器を買って帰ったが、見るとそれは全て金でできていた。ただちに銅器の売り主を探し、これを返した。
第八試
気の狂った道士があぜ道で薬を売っており、「この薬を飲んだ者はたちどころに死に、再び生き返って得道できる」と言っていたが、10日経っても買う者はいなかった。洞賓がこれを買うと、道士が「速やかに死後に備えるがよい」と言った。洞賓はこの薬を飲んでみたが、何も起らなかった。
第九試
洞賓は大勢の人々と共に河を渡っていた。しかし中流に至ると河が氾濫し、風が激しく吹き荒れ、荒波がどっと押し寄せた。人々はみな恐れおののいたが、洞賓は端坐し動かなかった。
第十試
洞賓がひとり部屋で座っていると、突然奇妙な化け物が無数現れ、洞賓に襲いかかり殺そうとした。しかし洞賓は正座したままで、少しも恐れることがなかった。次に数十もの夜叉が襲いかかってきた。また、血をしたたらせた死刑囚が泣きながら「お前は前世で私を殺した。今、私の命を償ってくれ」と訴える。洞賓は「人を殺したのなら、償うのが理だ」と言い、刀を取り自殺しようとした。
すると突然、空中に大声が響き渡ったかと思うと、鬼神達はみな姿を消した。ただ一人、手を叩いて大笑いする者がいる。見ると、それは鍾離権であった。「あなたを10回試してみたが、心が堅く何事にも動じない。きっと仙人となることができるだろう」と言い、彼は呂洞賓を弟子とした。
以上。
もはや、人では無い領域の御方ですね。
内経図の教理の根本は、王重陽の作のようですが、その中で説かれている内容は、道教のみではなく、仏教とりわけ禅宗の影響が色濃く見受けられる、とありました。
タオ(道)の教えといえば、老子ですが。坐禅で有名な達磨仏が内経図には描かれていますし、王重陽は、盛んに儒教、仏教、道教の「三教一致」を融合すべく、全真教とした、つまり、全ての底流の真理を融合しようとするものだったのです。
また修煉については、自分自身の修行である真功と人々の救済を行う真行の、功と行を二つながら全くする「功行両全」を主張し、自己救済の修行だけでなく他者の救済も実践しなくてはならないとした。
とありました。