ここのB&Bは、朝食が冷蔵庫に用意されていて、自分たちで好きなものを好きな時間に食べるようになっていました。洋ナシ、リンゴ、オレンジを皿に盛り付け、父と私はイングリッシュマフィンを、母はマフィンを、紅茶と共に頂きました。
支度が早く済んだので、近くにあるグラッシー・レイクを眺めて帰ることに決め、上に住む家主にご挨拶に行きました。すると湖に行きたいのなら歩いて行けるところにもあると言います。10分も掛からないと言うので、そちらへ行ってみることにしました。
歩き始めるとすぐに湖の様な池の様なものがありました。「もしかしたらこれかな、今は水がないけれど、夏になると水がたまって泳げるのかな。」などと言いながら、とりあえずもう少し、遠くに見える看板まで歩いてみることにしました。
土手の一本道のようなこの道は、正面に雪のかぶった高い山がそびえ立ち、朝の空気はすがすがしく静かで、歩くにとても気持ちの良い道です。
看板の近くへ行くと『Quarry Lake』と言う文字が見えました。
「やっぱりちゃんとあったね。」
左へ、木々の間の細い道を通り抜けると視界はパッと開け、かわいらしい湖、凍っていない湖が現れました。周りは一周歩けるようになっています。みんなが泳ぎに来るというのが分かるような湖でした。
小さな湖には山々が映っていて、静かな景色の中、犬が湖を泳ぐ音だけが鳴り響いていました。湖とそれを囲む山々を眺めながら帰路に着く前、最後のひとときを楽しみました。
さて、いよいよ空港へ向けて出発です。カルガリー空港まで約一時間半、100km少しの道のりです。いつものように左右に山々と、所々に湖が現れる道をしばらく進むと、ついに雪のかぶった高い山とはお別れになりました。その先は、どこまでも真っ直ぐな道をひたすら西へ向かいました。
手元には広域の地図しかなく、1号線から2号線へは、日本でいう高速道路のインターチェンジのようになっているのかと思っていると、1号線は突然のように街の中へ入り、工事中の箇所が多く、狭く走りにくい道を進みました。すると又、突然のように広い道になり、無事に2号線にのることができ、少し心許ない標識を頼りに進むと、何とか空港へ着きました。
レンタカーの返却は簡単に済みました。全走行距離758km。
カルガリー空港も、モントリオール空港と同じように、ここでアメリカへの入国の手続きをするようになっていました。少し長い列がありましたが、早目に着いたので焦ることもなく、入国審査も問題なく済みました。
ゲートはすぐそこで、搭乗までたっぷり時間は残っていました。でも、シアトルでは駆け足で乗り換えです。昼食をとる時間がないだろうと、少しお腹に何かを入れることにしました。それでも時間は余っています。
ゲートには、搭乗一時間前になっても飛行機は着いていませんでした。30分前近くになった時、遅延があるか確認に行きました。すると、35分遅れの標示。もともと、日本行きへの乗り換え時間は50分しかありませんでしたから、このままだと15分で乗り換えなければなりません。もし乗れなかったら、日本行きの飛行機は明日までないでしょうから、私もシアトルで泊まらなければならないことでしょう。カウンターに人が来るのを待って確認をし、あとはどうにもならないので、ゆっくりと、それ以上遅れないことを祈って待つしかありませんでした。
飛行機は1時にゲートに到着しました。乗客を降ろして、乗客を乗せ、35分遅れで飛び立ちました。飛行所要時間は当初の予定より短いようなので、どうやら間に合いそうです。
窓の外には、雄大なカナディアンロッキーの山々が広がっていました。この5日間、たくさんの山を通り抜けてきましたが、ここから見るとそれはまだまだほんの一部であったことが分かります。右にも左にも悠々とロッキー山脈は続いていました。
シアトルに着くと、疲れているだろう両親に走ってもらい、次のゲートへ向かいました。すると、出発予定時刻が10分早まっていました。ゆっくりと別れを惜しむ間もなく、急いで搭乗しなければなりませんでした。もしかしたらこの方が良かったのかもしれません。二人は振り返りながら手を高く上げ、いつまでも手を振りながら機内に向かって入って行きました。
私はそこに残り、無事に飛行機が飛ぶかを確認をしたかったのですが、自分の搭乗時間も迫っています。ギリギリまで残ってそこを後にし、全く反対側のゲートへ向かいました。するとそこは滑走路に入る飛行機、そして飛び立つ飛行機が見える位置でした。同じ航空会社の飛行機が続けて飛んでいないところを見ると、二人の乗った飛行機が飛び立つ瞬間が見られそうです。時計を確認しながら、自分の搭乗案内も気にしながらその時を待つと、丁度呼び出される前に、その瞬間を見ることができました。これで安心して飛行機に乗り込めます。
ラスベガスまでの飛行機、後ろの席には日本人の親子が座っているようでした。お母さまは私の両親よりも年上で、身体も弱いようでした。息子さんは私よりも若いよう。それでも丁寧に優しく接しているのを耳にし、我が身を振り返えさせられました。
レッドロック、我がアパートを見られるところから、飛行機はラスベガスの空港に無事到着しました。日本からは夜中の3時半過ぎに無事帰国の電話が入りました。元気そうな二人の声を聞いて安心しました。
5月の休暇、どこからか帰ってくるといつもラスベガスは夏になっていることを、空港に着いて思い出しました。33度。夏はまだまだ始まったばかりです。
支度が早く済んだので、近くにあるグラッシー・レイクを眺めて帰ることに決め、上に住む家主にご挨拶に行きました。すると湖に行きたいのなら歩いて行けるところにもあると言います。10分も掛からないと言うので、そちらへ行ってみることにしました。
歩き始めるとすぐに湖の様な池の様なものがありました。「もしかしたらこれかな、今は水がないけれど、夏になると水がたまって泳げるのかな。」などと言いながら、とりあえずもう少し、遠くに見える看板まで歩いてみることにしました。
土手の一本道のようなこの道は、正面に雪のかぶった高い山がそびえ立ち、朝の空気はすがすがしく静かで、歩くにとても気持ちの良い道です。
看板の近くへ行くと『Quarry Lake』と言う文字が見えました。
「やっぱりちゃんとあったね。」
左へ、木々の間の細い道を通り抜けると視界はパッと開け、かわいらしい湖、凍っていない湖が現れました。周りは一周歩けるようになっています。みんなが泳ぎに来るというのが分かるような湖でした。
小さな湖には山々が映っていて、静かな景色の中、犬が湖を泳ぐ音だけが鳴り響いていました。湖とそれを囲む山々を眺めながら帰路に着く前、最後のひとときを楽しみました。
さて、いよいよ空港へ向けて出発です。カルガリー空港まで約一時間半、100km少しの道のりです。いつものように左右に山々と、所々に湖が現れる道をしばらく進むと、ついに雪のかぶった高い山とはお別れになりました。その先は、どこまでも真っ直ぐな道をひたすら西へ向かいました。
手元には広域の地図しかなく、1号線から2号線へは、日本でいう高速道路のインターチェンジのようになっているのかと思っていると、1号線は突然のように街の中へ入り、工事中の箇所が多く、狭く走りにくい道を進みました。すると又、突然のように広い道になり、無事に2号線にのることができ、少し心許ない標識を頼りに進むと、何とか空港へ着きました。
レンタカーの返却は簡単に済みました。全走行距離758km。
カルガリー空港も、モントリオール空港と同じように、ここでアメリカへの入国の手続きをするようになっていました。少し長い列がありましたが、早目に着いたので焦ることもなく、入国審査も問題なく済みました。
ゲートはすぐそこで、搭乗までたっぷり時間は残っていました。でも、シアトルでは駆け足で乗り換えです。昼食をとる時間がないだろうと、少しお腹に何かを入れることにしました。それでも時間は余っています。
ゲートには、搭乗一時間前になっても飛行機は着いていませんでした。30分前近くになった時、遅延があるか確認に行きました。すると、35分遅れの標示。もともと、日本行きへの乗り換え時間は50分しかありませんでしたから、このままだと15分で乗り換えなければなりません。もし乗れなかったら、日本行きの飛行機は明日までないでしょうから、私もシアトルで泊まらなければならないことでしょう。カウンターに人が来るのを待って確認をし、あとはどうにもならないので、ゆっくりと、それ以上遅れないことを祈って待つしかありませんでした。
飛行機は1時にゲートに到着しました。乗客を降ろして、乗客を乗せ、35分遅れで飛び立ちました。飛行所要時間は当初の予定より短いようなので、どうやら間に合いそうです。
窓の外には、雄大なカナディアンロッキーの山々が広がっていました。この5日間、たくさんの山を通り抜けてきましたが、ここから見るとそれはまだまだほんの一部であったことが分かります。右にも左にも悠々とロッキー山脈は続いていました。
シアトルに着くと、疲れているだろう両親に走ってもらい、次のゲートへ向かいました。すると、出発予定時刻が10分早まっていました。ゆっくりと別れを惜しむ間もなく、急いで搭乗しなければなりませんでした。もしかしたらこの方が良かったのかもしれません。二人は振り返りながら手を高く上げ、いつまでも手を振りながら機内に向かって入って行きました。
私はそこに残り、無事に飛行機が飛ぶかを確認をしたかったのですが、自分の搭乗時間も迫っています。ギリギリまで残ってそこを後にし、全く反対側のゲートへ向かいました。するとそこは滑走路に入る飛行機、そして飛び立つ飛行機が見える位置でした。同じ航空会社の飛行機が続けて飛んでいないところを見ると、二人の乗った飛行機が飛び立つ瞬間が見られそうです。時計を確認しながら、自分の搭乗案内も気にしながらその時を待つと、丁度呼び出される前に、その瞬間を見ることができました。これで安心して飛行機に乗り込めます。
ラスベガスまでの飛行機、後ろの席には日本人の親子が座っているようでした。お母さまは私の両親よりも年上で、身体も弱いようでした。息子さんは私よりも若いよう。それでも丁寧に優しく接しているのを耳にし、我が身を振り返えさせられました。
レッドロック、我がアパートを見られるところから、飛行機はラスベガスの空港に無事到着しました。日本からは夜中の3時半過ぎに無事帰国の電話が入りました。元気そうな二人の声を聞いて安心しました。
5月の休暇、どこからか帰ってくるといつもラスベガスは夏になっていることを、空港に着いて思い出しました。33度。夏はまだまだ始まったばかりです。