植物たちに水を与えると、ベンジャミンに異変を発見。正確には、手作りの自動給水システムへ水を注ぎ足すと、ペットボトルから鉢に渡っている布に、気持ち悪いものを発見。鳥肌が立ちました。良く見ると、ベンジャミンの根。布はTシャツの裾を切ったものを使っているので、袋状になっています。その中を、いつの間にか根が通っていて、15cm位の茶色の根の先が3本に分かれ、白くて黒点の先を持つ根が、ペットボトルの口のところで、まるで曲がり切れなかったかのように、布を突き抜け顔を出していました。
ラスベガスに引っ越してきた時から、正確に言うとロスアンジェルスから一緒にここへ旅をしてきたベンジャミン。その成長を見ると、植え替えてあげた方がいいのかしら、といつも思いながら、鉢にしていた缶との色合いが気に入っていたので、植え替えることができずにいました。
でもこの根を見たら、もう我慢ができません。根が水を求め走る姿に一度は感心するものの、やはり気持ち悪くてすぐに植え替えることにしました。鉢を買いに行くのも待てず、持っていた鉢に。
この鉢は、このベンジャミンと合わないかと思っていましたが、植え替えてみるとなかなかいいようです。今の時期の植え替えがどうなのかが少々気になりますが、以前の3倍ぐらいの土が入った大きなこの鉢で、伸び伸びと根を伸ばしてくれることを願っています。
八百屋へ行くと、栗を発見。栗好きの私は、迷うことなく珍しくすぐに手にしていました。今日は栗ご飯にしよう。硬い栗の皮を一つ一つむく作業は時間が掛かりますが、栗ごはんの出来上がりを想像すると楽しくなってきます。昆布を入れて、お昼に頂いた生そばのそば湯も使って、栗ご飯を炊きました。残暑と秋の味覚はやや情緒に掛けますが、栗もご飯も甘くてとてもおいしかったです。
木の目隠しがなくなってしまったベットルームの窓に、目隠しを作りたいと思っていました。窓の下の方に渡る棒に洗濯ばさみをぶら下げて、そこへ手拭いを挟むのが、木が切られて後しばらく考えて決めた案。
かわいい木の洗濯ばさみを買おうとすると、友人が手持ちで余っているものがあるというので頂くことにしました。その洗濯ばさみに取り付けようと思っていたのが、ポシェットを作る時に買った少し太めの麻の紐。さて、この紐をどう取り付けましょう。しばらくその二つを眺めていました。ボンドで付けようか、穴を開けようか。すると、洗濯ばさみのばねの部分が穴になっていることを発見。この穴を通るものはないだろうか。引き出しを開けて探っていると、針金があることに気付きました。この針金は、頂いた花束のバラに通っていたものです。穴へ針金を通し、少し太めの麻紐を括り付け、うきうきと棒に取り付けてみました。
あら、挟む方向が縦になってしまいます。今度は作ったものと棒をしばらく眺めました。そうか、紐を長くして、洗濯ばさみを輪にくぐらせたらいいのか。早速試してみると、洗濯ばさみの方向は上手く行きました。でも、麻の紐が太いため、これをいくつか棒に取り付けたところを想像すると、見た目があまり良くない感じです。またそれをしばらく眺めました。
「何だ、針金で全部作ったらいいじゃない。」
長めの針金を取り出し、洗濯ばさみに通し、折り曲げ、棒に引っ掛けられるようにしました。大まかにはこれで良いようです。針金は、長い細いものと短い太いものがありました。太いもので作ればしっかり出来ますが、長さが足りません。また眺めました。
そこで思い出したのがワイヤ・アート。太い針金でできるところまでの土台を作り、細い針金をそこへ巻きつけ、そのまま足りない長さを補うことにしました。細い針金の螺旋は、自転車の車輪の一部、スポークで作りました。以前スポークを取り替えた時、何故か捨てずにとってありました。
試行錯誤の上、ようやく完成した作品は、シンプルでかわいいものになりました。アートと呼ぶには芸術性に欠ける気がするので、針金細工。この針金細工はとても気に入りました。
さてこれで、母譲りの“物を捨てられない病”は、悪化の見通しとなりました。
ラスベガスに引っ越してきた時から、正確に言うとロスアンジェルスから一緒にここへ旅をしてきたベンジャミン。その成長を見ると、植え替えてあげた方がいいのかしら、といつも思いながら、鉢にしていた缶との色合いが気に入っていたので、植え替えることができずにいました。
でもこの根を見たら、もう我慢ができません。根が水を求め走る姿に一度は感心するものの、やはり気持ち悪くてすぐに植え替えることにしました。鉢を買いに行くのも待てず、持っていた鉢に。
この鉢は、このベンジャミンと合わないかと思っていましたが、植え替えてみるとなかなかいいようです。今の時期の植え替えがどうなのかが少々気になりますが、以前の3倍ぐらいの土が入った大きなこの鉢で、伸び伸びと根を伸ばしてくれることを願っています。
八百屋へ行くと、栗を発見。栗好きの私は、迷うことなく珍しくすぐに手にしていました。今日は栗ご飯にしよう。硬い栗の皮を一つ一つむく作業は時間が掛かりますが、栗ごはんの出来上がりを想像すると楽しくなってきます。昆布を入れて、お昼に頂いた生そばのそば湯も使って、栗ご飯を炊きました。残暑と秋の味覚はやや情緒に掛けますが、栗もご飯も甘くてとてもおいしかったです。
木の目隠しがなくなってしまったベットルームの窓に、目隠しを作りたいと思っていました。窓の下の方に渡る棒に洗濯ばさみをぶら下げて、そこへ手拭いを挟むのが、木が切られて後しばらく考えて決めた案。
かわいい木の洗濯ばさみを買おうとすると、友人が手持ちで余っているものがあるというので頂くことにしました。その洗濯ばさみに取り付けようと思っていたのが、ポシェットを作る時に買った少し太めの麻の紐。さて、この紐をどう取り付けましょう。しばらくその二つを眺めていました。ボンドで付けようか、穴を開けようか。すると、洗濯ばさみのばねの部分が穴になっていることを発見。この穴を通るものはないだろうか。引き出しを開けて探っていると、針金があることに気付きました。この針金は、頂いた花束のバラに通っていたものです。穴へ針金を通し、少し太めの麻紐を括り付け、うきうきと棒に取り付けてみました。
あら、挟む方向が縦になってしまいます。今度は作ったものと棒をしばらく眺めました。そうか、紐を長くして、洗濯ばさみを輪にくぐらせたらいいのか。早速試してみると、洗濯ばさみの方向は上手く行きました。でも、麻の紐が太いため、これをいくつか棒に取り付けたところを想像すると、見た目があまり良くない感じです。またそれをしばらく眺めました。
「何だ、針金で全部作ったらいいじゃない。」
長めの針金を取り出し、洗濯ばさみに通し、折り曲げ、棒に引っ掛けられるようにしました。大まかにはこれで良いようです。針金は、長い細いものと短い太いものがありました。太いもので作ればしっかり出来ますが、長さが足りません。また眺めました。
そこで思い出したのがワイヤ・アート。太い針金でできるところまでの土台を作り、細い針金をそこへ巻きつけ、そのまま足りない長さを補うことにしました。細い針金の螺旋は、自転車の車輪の一部、スポークで作りました。以前スポークを取り替えた時、何故か捨てずにとってありました。
試行錯誤の上、ようやく完成した作品は、シンプルでかわいいものになりました。アートと呼ぶには芸術性に欠ける気がするので、針金細工。この針金細工はとても気に入りました。
さてこれで、母譲りの“物を捨てられない病”は、悪化の見通しとなりました。