陽だまりのねごと

♪~思いつきひらめき直感~ただのねこのねごとでございますにゃごにゃご~♪

京都 桜満開人満開

2008-04-06 05:39:18 | Weblog
歩いた歩いた。

豊臣秀吉が花見のために作らせたと言う醍醐寺を皮きり。琵琶湖疎水の十石舟に乗ろうと蹴上に移動。のんきにインクラインを歩いて舟着き場に行ったら、本日分のチケット完売。この人出。当たり前と言えば当たり前。

私からのリクエスト。夕方六時からの二条城ライトアップまでに時間があるから一昨年、紅葉の時と同じ南禅寺、哲学の道をてくてく。

ちょっと休憩ポイントも人だらけ。並んで待って、だんだん疲れると、どの桜もどこの桜もいっしょ気分になってくる。

樹齢何百年もの桜満開がこれでもかこれでもかと、人混みの中で咲き誇っていた。

人混みの中で、杖を頼りのタフな高齢女性の姿に何人か出会った。スゴイ。


せっかくの宇治の宿。人の少ない桜の朝ご飯前に満喫して来よう。小鳥のさえずりカラスの鳴き声。朝は始まっている。日曜日は教会の友は友情より神様をえらんだので、旅の最後はひとり気まま迷子道ぶうらぶらで締めくくり。夕方までには息子と猫の待つ家へ日常に帰る。

宇治の朝

2008-04-05 06:38:31 | Weblog
昨日は、京都在住の同窓生が集まってくれて、川にせり出した老舗でお昼。もう店の名前忘れた(涙)「インターネットで見ました」と言ったら、食後に抹茶ソフトサービス。

宿は喫茶店の二階。一組限定のお泊まり可。このかき入れ時に、たったひとり連泊は申し訳ない感じ。

友だちが部屋に上がって、しばらくだべっていたら、オーナーから茶団子差し入れ。ぱらぱらとグリーンティがふりかけて合って心憎い。花より団子(笑)

オーナーさんは49歳元気印の女性。仕事のかたわら私の憧れの社会福祉士と精神保健福祉士を通信で習得。本当は障害者の作業所構想をがあったとか。現実はなかなかきびしいそうな。

部屋のしつらえは女性好み和のかざりや帯、振り袖が掛けてある。ちょっとおしゃれに飾ったごく普通のまるで自分ちみたい部屋。

今日は友だちに案内されて京都おのぼりさん観光予定。お天気と人に恵まれて、朝から窓いっぱい河面の桜のごちそう付き(笑)しあわせ。

民からは 入れるにすばやく 出すにしぶちん お役所財布

2008-04-03 06:56:03 | Weblog
障害者年金と寡婦年金は税の申告では収入と認めないと分かった。
1年だけさかのぼって訂正できると言うのも知った。
即、行動。
まずは税務署へ電話。
電話口で仔細を話したら
『個人なんたら係』さんに交代。
窓口に持って行くものを聞いた。
息子の19年度の収入を証明するもの、私の確定申告の書類…

大体、会社勤めなら、税の申告はする必要がないんだけど
会社の担当が『途中転職者のことは知らない』と言い放つから
昼の休憩時間にダッシュして申告。還元金のチェックをして
後、あの紙はどこへいったやら?
バックへ突っ込んで、その先は?
へろへろに疲れて家の片づけもままならなかった頃のこと。
どこへ片づけたか記憶がない。
どうしても見つからない。

ふたたび電話。個人なんたら係の誰だっけ?
受付と要領を得ない応対電話末、やっとこさ、さっきの人が出た。

どうしてもなければ、なんとかなるから良いと言う。
なぁ~んだ最初から言ってよ。
息子の収入証明は市役所でもらえと言う。

いざ市役所の税務課?で良いよね。
各種証明書と書いてあるプレートの所から職員を呼ぶ。
19年度の収入証明は6月以降でないと出来ないと言われる。
それは税務署も知っているはずだと。
だって『電話で持ってコイ』と言われた。

帰って息子の収入額の証明になりそうなものがなんかないか探す。
給与振り込みの通帳はないかと息子に尋ねたら通帳紛失中。
こんど再発行してもらうと、あいかわらず。
19年がなくて18年の申告書類が出てきた。
まぁダメモトでようやく税務署へ。

2階の角の突き当り窓口でようやく電話の主に会えた。
まずは自分の『申告書類の閲覧請求書』を書く。
本人である証明に運転免許証を求められた。
やっとH19年度確定申告したの出てきた。
なんと手書きで写せと言う。
今どき!コピー機はダメなの?

なんのことやら分からぬまま言われたとおりにする。

それを見ながら
今度は『確定申告変更の書類』へ言われたとおりに
書いてある金額をまた移しかえる。
数字を見ただけでクラクラする私。桁を間違えた。
2重線引いて印鑑。

無事書類が出来てから、息子の障害手帳は持ってきたかと尋ねられた。
えっ!電話で必要なモノを聞いた時に言われなかった。
そう言ったら、
『電話応対でしたから』
なんで
『ゴメン。言いモレ』
と簡単に謝れないんだ。慇懃無礼モノ!
と思ったけど、
未知の書類。受けてもらわねば困る。
はいはいお代官さま。もう一度お持ちしますわ。

家に帰ると手帳交付できますよ通知書がテーブルに置いたまま。
市役所でもらってくるように、息子を刺激しないようにせっつく。
午後になってようやく障害手帳お持ち帰り。

自立支援法後の手帳を始めてみる。
就職用のネクタイをした本人証明写真が貼られている。
大きな字で精神障害とは記されていない。配慮が感じられる。

さっそくコピーしていざ、税務署へ。

今度は違う人が書類チェック。障害手帳のコピーをクリップでとめて
違う場所まで案内された。その書類の受付場所は違うらしい。
係に手渡してから、審査やらなんやらで、今、19年度整理中なこともあり
還付金はおそくなるとの説明。
戻るならいつでも良いのよ。この際。
それよりその金額が元になって、国民健康保険料が決まるのが問題。

帰ってじっくりみたら
障害の家族控除がプラスされたら我が家は非課税所帯になっている。
ふ~~ん。支払っただけの所得税が返ってくる。
国保料は最低金額になる。
正社員雇用になる3年前は月に4000円台だった記憶がある。
さっそく同じ寡婦で
非課税所帯の人に電話で金額を聞いてみると5000円台にアップしている。

   
(教訓)
   ① お役所は係、係で分かることが違う。
     自分の持ち場以外はまったく知らないと心得るべし。

   ② 担当窓口名と応対してくれた人名はメモること。

   ③ 役所でもらった書類は保存。

   ④ 息子が自己管理の書類は見たらコピーして持っておくこと。


そう言えばケアマネの仕事もやたら役所へ書類を出したり、聞いたりする。
家に居ても仕事モード続行って感じ。
もう~ぼけらっとして良いね。おつかれさんワタシ。

息子を扶養…いつまで…う~~ん。重い。

夜カジやめたはいいけれど・・・

2008-04-02 07:10:41 | Weblog
疲れた体にムチ打って家事をすることを『夜カジ』と言うらしい。
夜カジ族が増えてきたから
音の静かな洗濯機や掃除機、室内干しでもイヤな匂いにならない洗剤など
新製品も売り出されているとか。

今は花粉症対策にもなるから室内干しが一番良いのかもしれないけど、
日中過ごす室内に洗濯物が干してあるのはヤダ。
仕事をしない身はこれからヤメにした。

問題作『靖国 YASUKUNI』次々と上映中止で東京公開断念に… - goo 映画

こんなことがまかり通る国から野良になりたいけど
そうもいかず
国民の義務として、
まず国民健康保健に国民年金へ加入手続きをしに役所へ出かけた。

離職票が要ると役所が言う。
今までのところはハローワークへ持ってゆく離職票を辞める時に渡してくれた。
最後の給料明細と一緒に郵送と人事から聞いている。

それが届くまで無保険で要るわけにもいかない。
代わりに退職証明書でいいと言うからか
もう行きたくない会社の人事係に作り置き依頼の電話。
滞在時間短縮策の布石を打って
仕方なく出かけた。

  げっ! いつも居ない社長が事務所に居る。

社長に何を取りに来たか説明したけど、ご理解ない。
あいかわらずだわ。介護保険も知らない人だもんね。
この会社を辞めて国保に入る人は今までどうしてたんだろう?

国民年金額はいつまでも月13,300円ではなかった!
ちょっと調べたら
平成17年から毎年、280円ずつ値上げして
2017年に16,900円で上げ止まりの予定だそうだ。
今年は14,420円になるのかな?

私の支払いが終わるまで6年ある。2016年。16,620円まで上がるんだ。
これは、あくまで予定でしかない。
少子化と高齢化が進む一途。このままで済むとも思えない。

息子の前年度収入を聞いたらバイト料98万と言う。
11月から無職なのが幸い(?)している。
障害年金は収入に入らないから扶養の壁を超えないそうだ。
年金も収入とみなされるのは老齢年金だけらしい。

  知らなかった!今まで扶養にしていなかった。なんたる不覚。

聞いたら1年さかのぼって税務署で申告の変更ができると言う。
障害者の扶養控除が付けば多少、国民健康保険料も安い査定になるかもしれない。

今日は税務署へ出向く。
それから障害者控除もろもろは市役所へUターン?
アスペの息子でなくってもめんどっちい。

年金からどのくらい社会保険料を持っていかれるのかな?
国民年金終了の60歳までは
しんどくても社会保険料天引きの正社員でいないと
生活が成り立たない恐れがあるなぁ~

早くも野良生活にマグニシュード7の激震

やっと終わった

2008-04-01 00:01:46 | Weblog
残り最後の1日
後任が聞きたいことがあれば何でも応ずるすもりで
彼女の体が空くのを待って過ごした。

最後の最後の日まで
後任は自分の今の仕事のことで駆け回っていた。
施設ヘルパーの責任者の後任はついに決まらず
結局、当分兼務でやり過ごすつもりと言う。
出来た人ではあるけれど、彼女はケアマネの新人。
慣れていたとしても兼務はキツイ。

午後3時。
『頭痛がするんです』と青い顔でやってきた。
彼女の2,3月は休みと言う休みをケアマネの新任研修に使ってきたはず。
心身疲労ではないかしらん?
お茶を淹れてあげて、一服してから仕事を見てあげようと思ったら
お茶の途中で現任の仕事の件で呼び出し電話。

日曜出勤して作成したと言うはじめてのケアプランを見せてもらった。
新人さんらしい一生懸命さが詰まっていた。
来月初旬に後、数件仕上げて、利用者さん宅を訪問して承諾印貰って…
仕事の手順は説明だけしたけど、大変だぁ~

私のいよいよ退社時刻が来た。
後任から最後に聞いた言葉が
『ケアマネの仕事は何にもわからない』
えらく疲れた顔に見えた。
辞めて良いのかな?と不安になったれど
会社からは退職に『待った』はかかっていない。

お世話になりました。
なんだったのかな?3ヶ月。

もう後は振り返らない。
私は次の見えないステップを踏み出す。