あめふり猫のつん読書日記

本と、猫と、ときどき料理。日々の楽しみ、のほほん日記

家庭料理は、なつかしい。

2010-04-15 01:11:46 | 日記・エッセイ・コラム

深夜、『シルシルミシル』という番組を観ていたら、AD堀君が、外国の方に街で声をかけて、おうちで料理を作ってもらう、といういささか強引な企画をやっていました。

作ってくれたのは、フランス、スウェーデン、アメリカの方で、作った料理はいずれも、その国ではポピュラーな(アメリカの方は日系人の父とタイ人の母の間に生まれた方だったので、作ったのはタイカレーでしたが)家庭料理でした。

それを観ているうち、二十歳前後の頃、海外ミステリを読んでいて、出てくる料理がすごく気になったのを思い出しました。

レストランのメニューの場合もあるけど、たいがいやっぱり作中に出てくるのは、家庭料理なんですよね。

アメリカのミステリとか読んでいると、ごくありふれたお惣菜として、よくミートローフが出てきました。

それから、“角のデリでベーグルサンドを買って……”なんて描写が出てくると、ベーグルってなんだろ、食べてみたいな、と思ったものでしたが、今や近所のパン屋さんでも買えるんですものね。

ユダヤ系やアイリッシュ系、珍しいところではギリシャ系などの登場人物が出てくると、その食卓も個性豊かで、食べてみたいメニューがそれこそたくさんありました。

“過ぎ越しの祭り”の特別メニューとか、“パトリック祭”のデザートとか。謎だった“ムサカ”や“タラモサラダ”だって、今や料理本にけっこう載ってる。

でも、今も昔も変わらないのは、そういう家庭料理の描写を読んでいると、自分にはなじみのないはずの外国の料理が、なんだか懐かしいような気分になってくること。

なんとなく、万国共通のあったかさというか、ほっとする雰囲気があるのかなぁ、と思います。

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心のなかのふるさと。

2010-04-15 00:46:38 | 本(児童書・絵本)

おじいさんの旅 おじいさんの旅
価格:¥ 1,680(税込)
発売日:2002-11
来週、両親は母の兄弟たちと、数日旅行に行く予定です。

四国に住む母の姉に久しぶりに会うのが目的の一つ。

余談ですが、母の姉、私にとっての伯母と、3年ほど前に亡くなった伯母の夫である伯父は、クリスチャンでありました。

そのせいでもないでしょうが、私が小学生で、まだ伯母たちが花巻に住んでいた頃、遊びに行って出してもらった軽食がミネストローネスープとピロシキ、という私にとってはハイカラ(死語?)メニューでした。

伯母は息子の家に同居するために四国へ行ったのでしたが、私は寒い東北より、年配になってからは四国の方が温かくていいかも、と思ったのですが、歳をとってから馴れぬ土地に行く、というのは大変なことも多いようです。

そうして、伯母が一番遠いけれど、母の兄弟たちも、実家にいる母の二番目の兄をのぞいては、みな東京に暮らしています。(父の兄弟たちもおおむね同じ)

それにべつだん不便を感じていなかったはずですが、最近、とくに母のすぐ下の弟である叔父を見ると、歳をとってくると、ふるさとというのが若い頃よりずっと懐かしくなるものなのだな、と思います。

叔父は昔語りの会に語り部として出たり、ふるさとの懐かしい言葉を集めて、手作りの小冊子を作ったりしているのでした。

そういう様子を見ていると、上記の絵本『おじいさんの旅』をよく連想します。

この物語は、孫が語り手となって描かれる、彼の祖父の人生を綴った静かな本。

祖父は若い頃、希望とチャレンジ精神を胸に、アメリカへと渡ります。苦労は色々あるけど、新しい世界で生きる刺激も、楽しんできたのです。ところが歳をとってくると、自分が子ども時代を過ごした、日本が懐かしくてたまらなくなる。

望郷の思いに耐えきれず、日本に戻ってきてしまいますが、こんどは、アメリカで生まれ育った娘は、日本になじめない……。

人間にとってふるさととはなんなのか。いや、ふるさとという土地はあっても、結局のところどこにも行き場は無いような気もして、少し切なくなった絵本でした。

まだ、私はこのおじいさんや叔父の気持ちがわかるようになるまでには歳を重ねなければならないでしょうが、若い頃にははるか遠かった道の向こうをうかがう年齢になったのだな、とも思います。

コメント (6)
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