歯瘡医殿しそういでん(俗称はくさんさん)の由来
徳川十一代将軍家斉の天明、寛政の時代、御幣川の小市家に信心奇篤の人がいた。諸病の苦しみを行力によっていやしてくれた。行者は歯瘡(現在は歯瘡膿漏)がひどく、ほかの人にこの悩みをさせたくないと誓願をたて幾日も艱難苦行の行をし行人塚に生まれながら入定した。小市家では居宅の土地へ石祠を建て「はくさんさん」として歓請した。
これを歓仰する村人は寛政九年に小林元右衛門、宮入兵右衛門が願主となって「諸方一万講」を作り、社殿や夜灯を奉献し毎年九月一日に祭事を行った。昭和三十年代までは多くの参詣があり、歯瘡に悩む人は「はくさんさんにお願いし全快すればタバコひねり」をお礼にあげた。現在の社殿は平成の初めに改築され入母屋造り妻入りの瓦葺きで間口一軒半、奥行二間で拝殿の奥に石祠がある。全国的にも珍しい葉の神様である。修行した場所は行の橋、行者塚として今も残っている。
平成十七年九月吉日 製作者 小市 紀雄
徳川十一代将軍家斉の天明、寛政の時代、御幣川の小市家に信心奇篤の人がいた。諸病の苦しみを行力によっていやしてくれた。行者は歯瘡(現在は歯瘡膿漏)がひどく、ほかの人にこの悩みをさせたくないと誓願をたて幾日も艱難苦行の行をし行人塚に生まれながら入定した。小市家では居宅の土地へ石祠を建て「はくさんさん」として歓請した。
これを歓仰する村人は寛政九年に小林元右衛門、宮入兵右衛門が願主となって「諸方一万講」を作り、社殿や夜灯を奉献し毎年九月一日に祭事を行った。昭和三十年代までは多くの参詣があり、歯瘡に悩む人は「はくさんさんにお願いし全快すればタバコひねり」をお礼にあげた。現在の社殿は平成の初めに改築され入母屋造り妻入りの瓦葺きで間口一軒半、奥行二間で拝殿の奥に石祠がある。全国的にも珍しい葉の神様である。修行した場所は行の橋、行者塚として今も残っている。
平成十七年九月吉日 製作者 小市 紀雄