10月中旬頃、ふと新聞をとろうとみると、
わが家の玄関の郵便受けに
きれいな蜘蛛が棲みついていた。
きれい。
黄緑と黄色とオレンジの幾何学模様のそれは、
蜘蛛といっても毒々しさが微塵も感じられず、
葉っぱの化身のような風貌。
規則正しく折れ曲がった長い手足には、
オレンジの細いリングをいっぱい
オシャレにつけて、華奢だし、
なんだかすぐ払ってしまうのには躊躇するところがあったのである。
シャープだなぁ、この蜘蛛。
毎日新聞を取るとき、
郵便請けからチラシや手紙類を受け取るとき、
ウォーキングからの帰りなどに、
蜘蛛をそれとなく観察していた。
蜘蛛はいつも平和そうで、
同じスタイル。
一度誤って郵便請けから新聞を勢いよくとりすぎて、
下にポトン、と落っことして
しまった時はわぁ、と騒いで
慌てたが、
翌日にはちゃんと元のところにはい上がってキッチリ収まっていらっしゃった。
私があまりにじっと見ていると、
身の危険を感じたのか、蜘蛛の糸をものすごい勢いで揺らし始め、
挑戦者のよう、
どんどんエスカレートしてくると
自分自身の体をビンビンと小刻みに震えさせ、それらがしだいに
激しくなり、
やがて蜘蛛ったら
気がおかしくなったと思うほど、
暴走状態に陥っていたこともあった。
怖くなり、部屋に引き込む。
そして、
不良だわ、この蜘蛛、とわたしは思う。
小さな枯れ葉を糸の中にとらまえて
遊んでいた日も、
細くて折れそうな汚い蛾の足を後生大事に、
ひしっと、握りしめていたこともあった。
でも私は今日、勇気をもって
なんと、
蜘蛛を払うことにしたのである。
このところ、仕事が忙しくなるにつれ、
わが家は乱雑になる一方で、
仕事を共にしている相方のちょっとした不満さえも、
心のなかにホコリのように積み重なってきはじめたのである。
なんだか視界が狭い、この頃。
それで今朝、この明るい太陽を見たら、
そろそろ分かれ時という気がしたのは
まぎれもなく自然に湧き上がってきた感情なのだったのだ。
箒の先に蜘蛛さんをのせて、払おうと試みるけれど、
何度も嫌々と、激しくジェスチャー!
いったんは、思い直して部屋に戻ったのだが、
意を決し、
最初は蜘蛛の糸を箒のさきに巻き付けて、ぜんぶ払ったあとで、
やさしく声かけしながら、
勇敢に対峙し、
ゆったりと蜘蛛さんの体を箒の上にのせて、
マンションの自転車置き場の前にある草原にそっと離した。
バイバイ!
後を振り返らずに部屋に戻った。
スキッとしたのである。達成感だ。
それから、
昼と夕方と、今日は2度も郵便請けの壁を見つめたのだが、
蜘蛛さん、不在。壁はまっしろ。
しばらく同居してたんだもの、
本当は少しだけ寂しい気持ちになってしまったのは認めないわけにはいかない。
それから蜘蛛さんのことはすっかり忘れて仕事をして、
だいぶあたりは暗くなって
ウォーキングをしていたら同じ黄緑と黄色とオレンジの幾何学模様の蜘蛛が、違う公園にいたのを
私の目がしっかり捉えた。
なんだ、どこにでもいる蜘蛛だったのか。
よかった特別な私の蜘蛛じゃなかったのね。
安心して夜を迎えた。
次の朝、台所で朝食をつくっていたら、小さな蜘蛛がまな板の先を、つ~と横切っていったのである。
ああ、
玄関の蜘蛛は払うべきか、見守るべき?