先日の続きである。
まだ5日ばかり前のことなのに、2週間も前のようだ。
その時の空の色や空気の動き方、会話などを思い出しながら淡々と記してみようと思う。
19日(土)はセンター試験の第一日目だった。
まだ世が明けきらないうちに目覚め、娘を起こしてから台所の鉄瓶に湯をわかした。
新しい何かが動き出す前の静謐な朝。
そのシンとした部屋の空気感とはうってかわって、彼女は妙にはしゃいだ顔で姿をみせ、
夜明けの日の出をチラリとみて、すぐに窓をしめる。
本当に純粋極まりのない幼気なその人なのだった。
お弁当は一口カツと鰻入りの玉子焼き、サツマイモと人参の甘煮、
ブロッコリー、ミニトマトのサラダ。
ごはんと梅干し。
それから朝食は、胡麻豆腐とお味噌汁、小松菜の和え物。
あとはお弁当の残りを小さなお皿に盛った。
7時20分過ぎに、いつものように駅まで送迎。
フロントガラスは凍り付いて吐く息も白いが、
キラキラとした太陽の明るさが、私たちの高揚感を後押ししてくれるようで
明るく笑い合って、手を振って別れた。「頑張ってね、深呼吸してね」
「大丈夫だから」
なんだか、不安そうな彼女とは相反して、妙に肝が座って
落ち着いた心境の私なのであった。
それから、大急ぎで身支度をして、
私は大阪環状線にのり近鉄鶴橋駅へ向かっていた。
なんと私はこの日、もうひとつのイベントが待っていたのだ。
実は高校時代の友人yさんが、「一生に一度は伊勢参りしたいと思ってね」と
1月初旬に、ノリで誘ってくれて、迷ったあげくこうして同行しているのである。
娘はセンター初日だというのに、不謹慎ではないかしら。
自分の胸に何度も手をあてながら、
それでも御利益があるかも、という小さな希望をもって特急電車(近鉄)の旅を愉しもうとしていた。
車窓からみる山々や田畑、民家の景観は平和そのもの、
三重県に近づくにつれ、まるで季節はうってかわって春のようなポカポカ陽気なのだ。
「気持ちいいね今日のお天気」「元気そうで良かったわ」そう語り合いながら、
ふとIフォンをみると1本のメール着信が。
「一番前のど真ん中」。
絵文字すらない素っ気ないメール。
小さな震えるようなメッセージだ。
そりゃ、1番前ならiPhoneも打てないだろう。そう思いなおす。
彼女の心臓の鼓動までこちらまで伝わってくるようで、一瞬、晴れやかな気持ちが
いっぺんに吹き飛んだ。
それでも久しぶりの級友との会話は懐かしさにあふれ、居心地のいい温かさと、
ほんのり緊張感を乗せて、私たちは、「伊勢市」へと向かったのである。
外苑の鳥居をくぐると、そこはまるで春の森(神苑)だ。
さすがは天照大神様(太陽神)。
ギュッギュッと玉砂利を鳴らしながら空を見あげれば、
清々しい木々と太陽と社がかもし出す、万物のパワーに圧倒される。
御正宮を参拝し、風宮、多賀宮、土宮を参拝。
普段はパワースポットにそれほど関心があるわけではないのだが、
「三つ石」の近くにはお賽銭が納められていて、
みんなが手をかざしているので。
私も便乗して、ゆっくりと手をだすと、微妙にある一定の場所が温かい。そして
ビリビリッと痺れるような反応が。
えっ?と思い再び手を近づけると
今度は腕全体に波動が走ったようになって、ビックリ仰天。
外苑を歩いている間、ずっと手に余韻も。すごいなあ。初めて体感した神宮様の凄さに強い衝撃を覚え、
一緒にいた友達は、「ある場所だけは手が温かくなった」
と、しきりに訴えていた。
外宮の自然や池を眺めて、
しばし、ほっ、とする。
それからバスにのって内宮へ。
こちらは、木々の素晴らしさも勿論だか、
宇治橋をわたるとすぐに凜とした御姿で現れる五十鈴川のせせらぎの美しさが、
なんといっても素晴らしい。
玉砂利の道の左右に広がる手入れの届いた芝生や松の緑、
そして五十鈴川のキラキラとした
神秘の水。河川。
この流れは十キロ先の二見浦まで続き、私たちの心の汚れを海の潮で清めてくれるのだという。
二の鳥居をくぐり、神楽殿へ。
このあたりから樹齢7百年あまりの太い神杉に迎えられ、
厳かな霊気につつまれる。
石の階段を何段も上がって
清浄な心持ちになって、
御正宮へと御参拝である。
そのときだ。
内側からものすごい風が吹いてきて、
あらま、とおもう間もなく
白い生絹がバサバサとめくれあがった。
昨年3月に訪れた時は、風に揺れ震えるさまをみて、
とても礼的な心地になったのだが、
今回は両手を合わせようとしていたところだったので、思わず不謹慎にも
目を開けてしまったのだ。
目を閉じなさい。めっそうもない。
しかし、一瞬、しっかりと対面した。
今、ちょうど娘は国語の入試時間だなと思っていたところだったので、
一心に、頭を下げた。
不思議な、あらたさに感激する。
やはり私の祖先も絶対に日本人に違いない。そうDNAが言っているから。
いつ訪れても故郷のようであり、どこか懐かしい。
小さい頃に父に手をひかれて何度か参拝したから、そう思うのだろうか。
この日は、荒祭宮(精神的、活動的な神様で困った時に助けてくださるとか)へも立ち寄り、
橋をわたって風日祈宮へも。
それからおかげ横丁で知る人ぞ知る「岡田屋」の伊勢うどんと、赤福餅だけを
30分足らずで、お腹のなかに入れて、伊勢を後にする。
3時5分の特急に乗らねばならない。
そう、今回の旅は近鉄の「伊勢の神宮 正宮 別宮 おかげ参り」ご朱院巡りきっぷ(往復6千円)を
友達がとってくれたので、余計な寄り道は一切なしである。
それもまた、善しだろう。
しかし、岡田屋のうどんは柔らかいのに太麺のモチモチのうどんで、
おだしの加減も、ほんのり上品さを残した甘口で実に良かった。
並んで入った甲斐があった。
同行した友達は、次に伊勢に行くときも必ず立ち寄ると、何度も頷いていた。
帰り途は思いのほか、ゆったりしたバスの運転手さんに遭遇し、思いっきり階段をかけ上がって
息を切らして近鉄特急のホームへ。しかし、寸分の差で電車は発車してしまい、
愕然としたが、ある親切な車掌さんのおかげで、40分遅れの特急で「鶴橋」まで帰ることができた。
いい旅だったな。ふいにおとずれた伊勢弾丸ツアー、
いま振り返ってみても懐かしい友達の顔と晴れやかな伊勢の木々や自然が淡々と浮かぶ。
さあ、センター試験1日目。
結果は「出来たわけでもないし、出来なかったわけでもない」。
それが彼女の感想だ。
表情は明るすぎるくらいで。でもまあ、いろいろ詮索しないでおこう。
1月19日は長い、長い一日。うららかな週末となった。
こちらまで、妙に盛り上がってしまって夜の団欒は、ハイテンションな陽気さで食卓を囲んだように記憶している。