月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

バカバカしいほど芸術だ。度がすぎた韓国映画のこと

2020-09-04 00:35:00 | コロナ禍日記 2020
 
 


 

 

6月25日(木曜日)晴れ

 

きょうはゆっくり起きて、ヨガと瞑想。

朝から夕方まで仕事の原稿にあてる。毎月書いている月刊雑誌で、何十年もやっているのに、毎号テーマが新しく、最新分野の事例なので慣れるということがない。毎号が斬新すぎて、取材のほかに情報収集をし、勉強をさせてもらいながら自分の中に落として書く。提出前夜にようやくわかり始める(面白くなる)という具合だ。

 

Nは、手持ち無沙汰のようで最初はゲームをしていたが、ガタガタと音をさせて、あっちへこっちへ行ったり来たりしていると思ったら、部屋の片づけをしてくれていた。不要な郵便物のたぐいを廃棄し、ダイニングのテーブル、キッチンカウンターなどなど。拭き掃除をして、流し台も冷蔵庫もアルコール消毒して、ガスレンジを磨き、床ごとぴかぴかになっていた。

 

5時から映画をみにいこうと約束していたのだが、気づくともう5時10分だ。

「映画どうする?」と聞くと、

「なにもいわないから」(N)

「集中して時計をみていなかった」(私)

「……」(N)

肩を落として目を伏せたNの体をつかったアピールから考察し、ナイトショーに行くことにする。

 

開演前までショッピングをして、シルクのセーターとカーディガンのアンサンブルを購入した。アンサンブルなど流行らない、とは思ったが鮮やかなグリーンで、袖を通した時の着心地が、穏やかでよかった。

 

Nが見たのは、「ストーリー・オブ・マイライフ わたしの若草物語」

私は「パラサイト半地下の家族」モノクロ版

 コロナ後のはじめての映画だが、ソーシャルディスタンスを保つために、一列につき一組か二組に限定され、席がゆったり。快適このうえなく、劇場を独り占めしているようだ。

「パラサイト半地下の家族」。

 見終わってからも、そして翌日も、映像が執拗に頭にこびりついて離れない。これでもか、というほど予想を裏切る展開が奥の奥まで。急スピードで落ちて曲がり角を大きく急回転して曲がり、さらに井戸の奥まで落ちていく、そして……。意図したわけではなく、偶然見たのがモノクロ映像なのだったが、えぐい、臭いシーンはモノクロ化によって、おそらく軽減されたのだろう。それでも、爆弾のように降る雨の画は、鮮明。美術監督であるポン・ジュノ監督は、自身が大学時代に暮らしていた半地下を思い出して美術の構想を練る。微細な小道具やガラスや壁についた垢、ニオイまで再現。

 貧富の差として下流者のほうを、渾身をかけて凄まじく描く。頭脳プレイの限りをハチャメチャに錯乱させて。悪も善も、度が過ぎれば変わらない。自我をもっての強欲は凶器、狂気、狂喜である。バカバカしいほど、芸術だ。

(ここから若干ネタバレ)

 伝えたかったのは、なんだろう。シーンとして印象に残ったのは、そうお父さんが地下で発信していたモールス信号の手紙の解釈シーン。妄想か……、すべては頭のよすぎる長男の妄想かもしれないが、(この映画の全てが)父は地下に隠れて息子だけにわかるメッセージをモール信号に託して、送る。それを息子が読み解く。

 息子の父へのリスペクト(家族愛がテーマと思うほど)、ラストのところで父が地下から太陽が照りつける広大な芝生の庭に現れる……。この手紙がよくて実に数学的な妄想である。

 半地下でみる雪景色が美しかった。(最後の10分がなければこの映画は嫌いだったかもしれない)

 父の言葉「人生そのとおりにはならない。絶対に失敗しないのは無計画。ノープランこそ計画」

 ポン・ジュノ監督がくれた教訓である。

「地下にいると、全てがぼやけてみえる。なにが現実かわからなくなる」。格差社会といえども、監督は頂点にいる金持ち家族ではなく、半地下に住むこちらの家族に温かい眼差しとエールを送っているように思えた。エンドロールの音楽がそう物語っていた。

怖い物みたさで、カラー版もみたい。

もうひとつ私が個人的に学んだのは、とことんやりぬくこと。それもマニアックなまでに。そこそこ、はすぐに通用しなくなる、と。