月の晩にひらく「アンデルの手帖」

writer みつながかずみ が綴る、今日をもう一度愉しむショートショート!「きょうという奇蹟で一年はできている」

多忙の折のツイッターから

2020-09-23 10:18:00 | コロナ禍日記 2020





 

7月9日(木曜日)

 

このところ、依頼原稿の仕事が重なってきていて、ゆっくりとポメラを開くこともできていない。昨日に続いて今日も、新規の仕事がはいる。そして結構なことなのだが。なぜか落ち込む。

密かに書きかけているものも、今だ先がみえてこないし、このところ妙な不安に苛まれていた。

 

その日のTwitterのタイムラインに「あなたは本当に書きたいものをかけているのか」というようなライターさんの問いかけがある。

書きたいものを書く、のは、ある種のエゴではないのか。自己欲求でものを書いても、つまらないと思っていた自分がどこかにいたから。コピーライター時代が長かったせいか、自分が書きたいものではなく、何が求められるのかを、どう書けば正解なのか、〝面白がられる〟か、ひたすら考えてきていた。むしろ、世の中のニーズがあってこそ、書くべきだという気もしていた。

 

ただ最近、よくよく考えてみると、個人的に書きたいモノ、伝えたいことが明確であればあるほど、情熱がほとばしり、結果として人が本当に求めているよいものが仕上がるのかもしれない。(なにをいまさら……)。このライターさんのいうことはあたっているのだとも。

絶対に書きたいという気持ちが、他の人には書けないものを書かせる力になるのかもしれない。

そう書きたいものを書くということは自分を甘やかすのではなく、自分の心をはだかにして素直になること、そして心から自分が面白いと思えるものでないと書くべきではないのかもしれない…などと。この締め切りまみれのなか、思いあぐねていた。(あほだ)

 

朝からテープおこしをしていて7時までに2本。原稿書きの前の資料収集など。

急にエスケープしたくなり、この日までの映画を観に梅田まで出る。

 

電車の中「透明な夜の香り」(千早茜さん)の本に集中していて、乗り換えをせず、途中で気がついて北新地駅で下車。

「ストリートオブライフ わたしの若草物語」




小学校の頃から若草物語ファンなので、何度か映画化された作品は観ていたが、やはり気になって、最新作もみたくなってしまった。

回想シーンでは、原作での描写も描かれ、時代背景や時間の流れをカメラで追いかける。わたしの頭の中に潜んでいた、4人姉妹とは少しだけ違うが、現代版の若草物語だった。ただ衣装やセリフなども、よかった。ジョーは、感受性豊かで優しく、繊細で、自分に正直。勇気をもって、いちど自分の頭に靄のようにふりかかった疑問点に立ち向かっていく。ジョーの、内面の孤独と葛藤、女性らしい一面などをみられたことは大きかった。凄まじい集中力で、4人姉妹の日々を書き上げていくシーンは息を飲む。永遠にジョーは素敵。影響された。

 

みてよかった、と思いながら帰宅、仕事の続きをする。(確か、小学校の頃はジョーではなくベスが好きだった。4人姉妹自体にあこがれる)

 

多忙に翻弄されながらも、観たいモノ、やりたいこと、書きたいものは見失ってはいけない。なぜ、引っかかるのか。第六感を大事に守ってやりたいと思う。