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朝5時45分起床。シャワーを浴び、昨晩寝る前に準備をしていた旅の持ち物をもう一度みて、6時30分に家を出た。
Nは足が速い。家から坂道の半分くらいまで走り続けても平気。わたしも昨日は11時に寝たので、息を切らし、必死でNの背中について走る。
AM8時に空へ。ウィーン以来8カ月半ぶりの飛行だ。ANAの新機種エアバスA321(伊丹—福岡)。
4月5月の頃と比べれば、ビジネスマンや旅行客が少し戻ってきた感じ。機内ではjoiのムーン・ヒーリングをノイズキャンセリングで聴きながら本を読んでいた。
「到着まで15分」という機内アナウンスで、本のページから目を離し、窓外をみる。深青の海がひろがっていた。光が絹の上に注がれて、美しいしじまを映している。同じ調子の、同じリズム。同じ波の立ち方。穏やかに悠々と限りなく広がっている。
——9時10分。福岡空港に到着。
空港内で、Nにおいしいものをたくさん教わる。例えば、天然酵母のクロワッサン専門店「三日月のクロワッサン」「伊都きんぐのあまおう苺入りどらやき」など。Nは、きなこのクロワッサンを、私は、よもぎを購入。伊都きんぐのあまおう苺入りどらやきも2個。
国際線ターミナルまでバスで移動し、湯布院行きの高速バスを待つ。
勿論、海外の飛行機は飛んでいないので、空港内は閉鎖した状態だ。バス停にマスク姿のおじさんがふたりで暇そうに立っていた。
N「ターミナルは閉鎖して入れないのですが、どこでバスの切符を買ったらよいですか」
日焼けしたおじさん「私がバスの運転手にかけあって中でチケットを購入できるように交渉をしましょう。4枚綴りを購入したら、30%安くなりますよ」。ありがとう!
——10時37分。ゆふいん号「亀の井バス」に乗車し、約1時間30分、高速道路をひた走る。乗っているのはわたしとNのふたり、運転手のみ。車窓の横には夏の濃い緑の山と蛍光色の田、時々は民家がみえる。
——12時17分。由布院駅前に到着。
気温はぐんぐん上がり36度はとっくに超している。
黒い駅舎には人も電車も抜きとられ、絵のように閑散としていた。7月の豪雨災害で鉄橋や山間部が崩れ、「日田(日田市)-向之原間(由布市)の交通網は遮断されている」とウインドウに小鹿田焼を並べた器屋の男店主がぼやいている。
じりじりと燃えるような暑さの中、町を歩く。湯の坪街道へ。
あまりに暑いので、5分おきに店の中をのぞく。
「telato」 (テ・ラート)という名の看板が目にはいる。抹茶ジェラートの専門店で地元で麻生茶舗がプロデュースしている店という。
わたしは抹茶ジェラート5倍。Nは、八女茶のジェラート。ともに500円。茶葉は福岡県の星野村産。アイスが並んだ什器をみながら、店先で食べる。生乳は、阿蘇ジャージィー乳とあり、かなり濃厚、抹茶が口の中にねっとりとつく。後味はすっきり。この暑さにしては本格派すぎるが、おいしく最後までいただいた。
このあと、由布見通りから湯の坪街道を炎天下、麻の紺色の帽子をかぶって歩く。草庵秋桜四季工房(ピクルス専門店)、ミッフィー森のキッチン、酒屋、どんぐりの森、陶磁器ショップなどをひやかし、湯布院フローラルビレッジまで。ガーゼのマスクをして歩く(途中3回の休憩)。とにかく暑いのだ。
眼前には女性的なやわらかさをおびた由布岳、標高1584メートル。空は青々とし、入道雲が浮いたまま動かない。江戸時代の番屋(詰所)を思わせる雰囲気か。焼けた墨色の木をつかった木造の店が多く、店の軒先や道々に野草がのび放題になっているのが情緒をもたらすのだろう。
いよいよ、湯の坪街道を逸れて、大分川へ。川のせせらぎと緑があいまって、しばし涼を感じる。最初に飛び込んできたのが「玉の湯」、蛍観橋をわたる。金鱗湖の標識をいくと、「旅館田乃倉」、そして一番奥が「亀の井別荘」。きょうの宿だ。
茅葺き門をくぐれば、樹齢百年を超える銀杏の木、松、杉などがそびえる。敷地内は禅寺のような厳かで素朴な雰囲気だ。チェックイン前に荷物を預けて、お昼は敷地内の「湯の岳庵」を予約してもらった。
「湯の岳庵」。コロナ禍の中、客人はわたしたちだけ。
太く黒い梁がキリッとした印象を添える民家風の食事処。座敷と椅子席がある。あふれんばかりの緑に囲まれたシンとして温かみのある空間。テーブルにも椅子にも緑の蔭が映り込む。この大正ガラスのゆるい雰囲気、素晴らしかった。
蕎麦御膳(おろしそば、Nは地鶏そば)をいただいた。喉が乾いているので、ジンジャーシロップ炭酸割りも。
細麺で、するするっと、のどごしよい食べやすい蕎麦の味。なめこと大根おろしを混ぜていただく。添えられた、鱒の造りと、しぐれ煮、お漬物までもおいしい。これは夕食も期待できそう。